昨日、ちょっと気になる記事を目にしました。
まさに「文武両道」を追求している素晴らしい子供たちです。決して恵まれているとは言えない環境に置かれていても、創意工夫で「何とかしようとする」、まさにこの点が「学び」であり、彼らが実に「優秀」であることを物語っています。現在の高校野球は、文字通り「私学全盛」であり、公立高校は質量ともに私立高校には遠く及ばないのが現実です。そんな歪な現状について、私はあえて改善する必要などないと思っているのです。いつの世だって、スポーツにおいて感動を呼ぶのは「ジャイアントキリング」であり、私自身も「私立に負けるか!」という精神で取り組んできました。甲子園を目指す彼らにとって、まさに「今」の勝負がすべてではあるのですが、私は彼らの5年後、10年後に本当の意味での勝ち負けが現れるのだと思っているのです。
一方で、いかに優秀とは言えども、彼らが「高校生」であることに変わりはありません。若さゆえの「慢心」や「過信」も必ずあるはずなのです。だからこそ「指導者の責任」は極めて重いと改めて感じます。
もうかなり昔の話になりますが、地元でトップの進学校が夏の甲子園に出場したことがありました。当時は夜間照明設備もなく、冬場の練習時間はたった1時間半だったと聞いています。それでも持ち前の「優秀さ」で効率的な練習を繰り返し、甲子園でも見事な活躍を披露したのでした。
2年生が中心の若いチームで、翌年の活躍も大いに期待されていたのですが、1年後の「結果」は実に惨憺たるものでした。当時私は某新聞のアルバイト記者として高校野球の取材をしていたのですが、昨夏甲子園で躍動していた選手たちの「変貌ぶり」には、率直に驚いてしまった記憶があります。
チーム事情に詳しい関係者に聞いたところ、昨夏の「2年生」たちは甲子園での活躍で大いに自信をつけたところまではよかったものの、その後は明らかに「天狗」になってしまっていたとのことでした。何よりも問題なのは、監督の指示を一切聞かず、個々にセルフィッシュなプレーを漫然と続けていたそうです。そんな様子を苦々しく感じていた有力OBの「懸念」が、1年を経て「現実」となってしまったようでした。
私が抱いていた当時の監督さんのイメージは、とにかく「温厚でいい方」だったように思います。もしかしたら、選手の自主性を何よりも尊重していた、選手想いの監督だったのかもしれません。しかしながら、その想いが逆に自信過剰に陥った選手に「勘違い」をさせてしまったのかもしれません。
ここからはあくまで私個人の「私見」ですが、指導者たるもの、特に幼い子供たちを指導する者としては、常に「厳しさ」を持ち合わせていることが必須であると確信しています。その「厳しさ」は、時に子供たちから「理不尽」だと指摘され、嫌われる結果となるかもしれませんが、それでも「指導者」であるならば、「嫌われること」を決して恐れてはいけないと、私は考えているのです。誰だって「好かれたい」という本質的な欲求はあるものですが、こと「指導の場」においてその欲求を貫こうとするのは、まさに「指導者のエゴ」だと、私は思います。「自らが「理想の指導者」として、万人から尊敬の念を受けること」よりも、「子供たちが決して慢心することなく、しっかりと成長していく」ことの方が大切に決まっているのです。
慢心を厳しく諫め、少なくない反発があろうとも、時には必要不可欠な鍛錬は何が何でも完遂させようとする厳しさがなければ、真の意味での「指導者」とは言えないのではないでしょうか?「指導者」として真に評価されるのは「卒業時」ではなく、5年後、10年後で十分だと、私は考えているのです。
翻って、私自身はどうかと言えば、まだまだ道半ばなのです(笑)。敬愛する恩師の域には到底及ばない「出来損ない」ではありますが、「嫌われ役」をあえて引き受ける「覚悟」だけは、常に持ち合わせているつもりではいるのです。
おそらく「これで完ペキ!」などということは、ないんだろうな~。
頑張りましょう!


