昔の話。 | エフォートアカデミー塾長日記

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静岡県三島市の学習塾「エフォートアカデミー」のブログです。
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ここ数日、沼津・三島近辺は異常な暑さです。

 

「本来、そんなに暑くはならない時期に、なぜか暑い」のが「異常気象」「地球温暖化」なのでしょう。これが「真夏」ならまだしも、まだ7月に入ったばかりなのです。

 

金曜日は三島で母が「そろばん教室」を担当しており、通常であれば自宅のある沼津まで電車とバスを乗り継いで帰宅するのですが(出勤は私と一緒に車で行きます)、この暑さの中に「後期高齢者」を放り出す訳にはいきません(笑)。たまたま妻が三島近辺で用事があったため、三島教室まで迎えに来てもらうようにしました。

 

後で聞いたのですが、車中で妻と母は「昔話」に花を咲かせたようです。

 

・父が早くに亡くなり、大学生の頃から私が「父親の役割」をせざるを得なかったこと。

 

・父の死後、同居していた祖母が私を運転士のようにコキ使っていたこと(笑)。(父の死後、父の愛用していた車が残されてしまい、誰も運転する人がいないため、急遽免許を取りに行かされました。そうしたら、祖母が病院への送迎を私に頻繁に依頼するようになったのです)

 

・昔の私はスマートな「イケメン」で、よく女の子にモテていたこと(笑)。※今は見る影もありませんが(笑)。

 

・父の死後、まだ大学生でありながら、冠婚葬祭などの親戚付き合いに駆り出されていた私に、申し訳なさを感じていたこと。

 

等々、妻が知らなかったような「昔話」にまで話が及んだそうです。母が八十歳を超えた今もなお、私の塾経営の手助けをしてくれているのは、生粋の「教員気質」に根ざすものだけではなく(母は公立小学校の一教員として四十年以上勤務していました)、若くして「家長」の責任を負わさざるを得なかった、私への贖罪の意味もあったのかもしれません。

 

私にとって「父の死」は、その時期があまりにも早く、そういう意味では確かに「想定外」ではありました。一方で、両親が健在である大学生には「知り得なかったこと」を図らずも学べた時期でもあったように感じます。誰にとっても「いつか訪れる瞬間」が、私の場合は少しだけ早かっただけなのでしょう。

 

父の葬式を出し、その3年後には自宅で倒れていた祖母を発見し(発見時には既に死亡していました。私が発見してよかったと思います。母はこういう時は全く「役立たず」なのです)やっぱり葬式を出したこと、その他多くの「冠婚葬祭」に訳もわからないまま駆り出され、嫌でも「しきたり」や「親類の関係性」を学ばざるを得ませんでした。換言すれば、この時期は私にとって「無理矢理大人にされた時期」だったと、今になって思っているところです。

 

人は「元気」な時には、「死」を意識することはあまりないと思います。一方で、家族にしろ友人にしろ、ペットであったとしても、「愛する存在の死」に直面した時には、「死」に向き合うひとつのきっかけに成り得ます。「何事も、いつかは終わりが来る」という事実を意識するだけで、「今の生き方」が変わってくるのかもしれません。私に関する「昔の話」は、まさにこの点に集約されているのだと、五十路も半ばを過ぎて、ようやく自覚するようになりました。

 

世の中の皆様が、等しく、

 

「健康に100歳まで生きて、孫に囲まれながら「まあまあの人生だったな・・・」と感慨に浸りながら、幸せに死ぬ」

 

ことを心よりお祈り申し上げます(笑)。

 

頑張りましょう!