エフォートアカデミー塾長日記

エフォートアカデミー塾長日記

静岡県三島市の学習塾「エフォートアカデミー」のブログです。
塾での出来事やお知らせを、私塾長の鈴木がお知らせいたします。
エフォートアカデミーのホームページは、
http://www.effort-aca.com
です。よろしくお願いいたします!

塾とは全く関係のないお話で恐縮ですが、ここ数日、とある弁護士事務所から自宅に自動音声の連絡が一日に何度も入っていました。自宅といっても、母があまりにも電話営業に引っ掛かるものですから、自宅の電話は撤去し、自宅宛の電話はすべて沼津教室に転送しています。

このような場合、多くは詐欺的なものなので、さして気にも留めてはいなかったのですが、詐欺にしてはあまりにもその頻度が多いことは少々気になっていました。

 

あまりにもしつこいのでネットで調べてみたところ、少なくとも実在する弁護士事務所を名乗っている電話ではありました。その弁護士事務所の主な業務の中に「少額債権の請求代理」と記載があった時、「もしや!」と思ったのです。

 

すぐに妹とともに母の机や寝室まわりを捜索したところ、あまりにも「予想通り」の展開で、一瞬気を失いそうになってしまった私なのでした(笑)。

母はボケてからも、ありとあらゆる「健康食品」や「自己啓発」、「生命保険・損害保険」などの通信販売に次々と申し込んでは、支払いを「忘れていた」ようです。少し前のブログにも書きましたが、以前既にいくつかの通信販売の解約手続きをしたのですが、それですべて「済んだ」と考えていた私の認識が「甘過ぎた」ようです。今回連絡がきた弁護士事務所のみならず、他の弁護士事務所からの「督促状」もいくつか届いていたようで、それらを母がろくに確認することもせず、放置していたようでした。母の督促状のみならず、私や妹、妻宛の重要な手紙も発見され、少々深刻な問題になってしまっています。更にはこれから申し込もうとしている、記入・捺印済みの「保険加入書」も2通発見し、即座に廃棄しました。

加えて、妹が母に毎朝課していた「服薬」ですが、そのお薬を飲まずに「隠していた」のも発見し、飲まなかった薬が山のように見つかったのです。私は母に薬を「渡しっ放し」にするようなことはせず、必ず目の前で飲ませているのですが、妹はただ単に「薬飲んで!」と手渡すだけで、私からも度々注意はしていたのですが、結果として「最悪」な形となった訳です。妹にもかなり厳しく指摘したのですが、ある意味で「よく似た親子だな~」と感心してしまいました(笑)。今回の件で、ようやく妹も私から指摘された「真意」がわかったのではないでしょうか?

 

乱雑に放置された書類の山の中から、正確な契約状況を把握するのは至難の業であり、とにかく判明している分から処理するほかありませんが、週明けには一度当該弁護士事務所に連絡して状況を確認したいと思います。一度限りの契約であればまだよいのですが、サブスク的な契約があるとすれば実に厄介なので、早めに手を打たなければなりません。

家の中で粗相をしたり、失敗してしまうことは何の問題もなく、「家族」なのだから当然お世話はするつもりです。しかしながら、あまりにも他人様にご迷惑をお掛けする行為が続けば、これを「ボケているから」と放置するのは、ある意味で「家族の傲慢」だと断じられても仕方がないことだと思います。比較的体が元気で、かつ自身を「マトモだと思っている」現在の状況が最も危うく、手に負えない状況であることを、今更になって思い知る我が家の面々なのでした。

 

もはや「次の段階」を考える時期に来ているのかもしれません。

 

頑張りましょう!

現在認知症である母は、「しっかりしていた頃」は実に頑張り屋であり、確固たる信念を持っていました。母なりに、

 

「これだけは何があっても曲げられない!」

 

という確信があったのではないかと思います。だからこそ、父を亡くした後も私たちをしっかり育て、何とか生活できてきたのだと感じます。当然のことながら、そのことについては非常に感謝しているのです。

 

一方で、認知症を患ってからは、そんな性格が返って病状を悪化させているような気がしてならないのです。「自分はマトモだ!」と信じて疑わず、家族や善意の第三者の忠告は「フル無視」(笑)、ボケてもなお自分自身だけの「信念」を信じて疑わず、他人の迷惑も顧みずに連日「おかしなこと」を繰り返す母の姿を見ると、何だか悲しくなってしまうのです。

 

「優柔不断」と聞くと、何だかネガティブなイメージを抱いてしまうものですが、常に「健全な不安や疑問」を持つことは、好ましい精神状態を維持するためには重要なことなのかもしれません。

同様に「価値観の多様化」が叫ばれる昨今、もとより「絶対に正しいこと」などありえないということに、我々は気付くべきなのかもしれないと強く感じます。

 

「自分は本当に正しいのか?これで本当に大丈夫?もっと良い方法はないのだろうか?」

 

そんな風に常に自らに問いかけ続けることこそが、柔軟な発想を生み、脳を活性化させ、結果として「ベストとまではいかずとも、ベターな選択肢」に導く要因になるのではないかと、私は考えているのです。

 

何の悩みも懸念もない、「実に穏やかな空間」で過ごすことは、ひとつの「理想」ではあることは確かですが、そんな環境で日々過ごしていたら、すっかり「腑抜け」になってしまうかもしれません(笑)。他人の「価値観」を知り、十分な敬意を払った上で、

 

「これで本当に良いのだろうか?」

 

という「問いかけ」を自らに繰り返すこと、それは決して心穏やかな状態とは言えないのかもしれませんが、そうやって自らに問いかけ続けることこそが「人生」なのだと、つくづく感じているところです。

 

「いつだって正しいこと」なんて、きっとどこにもないのかもしれません。一見して「優柔不断」に見える行動の中に、「正しいこと」を追求し続ける「健全な精神」を見たような気がした、金曜日の夜なのでした。

 

「不安で不安で仕方ない!」というくらいが、実は「ちょうどよい」のかもしれませんよ(笑)。

 

頑張りましょう!

ヤフーニュースでこんな記事が目に留まりました。

 

歯止めが利かない「少子化の波」に押され、今後も「母校がなくなってしまう」という現象は避けられないと思います。卒業生としては、ちょっと悲しい気分になってしまうでしょうね。

 

私は月曜・水曜・金曜の週3日、母を海辺の「デイサービス」の施設まで車で送り届けています。その道すがら、母が小学校教員時代に最も長く過ごした勤務先の小学校があります。

日々混沌としていく母の意識の中でも、かつての思い出深い「職場」のことは忘れ難いようで、

 

「この学校も、もう廃校になってしまうんだね・・・」

 

と毎回、悲しそうにつぶやくのです。母の言う通り、この小学校は今春をもって長い歴史を閉じることとなっています。

 

我が家の近隣の小学校でも、かつては1000人以上の児童を抱えていた時期があったものの、現在は1学年2クラスにも満たず、使用している教室よりも、今や使用されることがない教室の方がずっと多く、さながら「廃墟」のような様相を呈しています。かつての活況を知る者の一人として、時の流れの残酷さを感じざるを得ませんでした。

 

生きていれば、「別れ」を避けることはできません。であるならば、せめてその「思い出」を、長く心に残しましょう。母のように、たとえ「ボケて」しまったとしても、「あの頃」のことははっきり覚えているなんて、実に素晴らしいと思います(笑)。胸に刻んだ「思い出」は、たとえ形がなくなったとしても、永遠に記憶に残るのですから。

 

春は「出会い」の季節ではありますが、同時に「別れ」の季節でもあるのです。大いなる喜びと、少しの寂しさと、胸いっぱいの「思い出」をもって、花粉だらけの過酷な春を「やり過ごしたい」と誓った、目がかゆくてたまらない私なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

昨夜は少しだけ残務を頑張ってしまい、床に就いたのが朝4時頃、にもかかわらず9時には容赦のない電話の嵐がありました(笑)。

 

電話の主は三男(元・長男)で、

 

「ばあばが車の鍵をよこせと暴れている!」

 

とのこと、何でも「お墓参り」に行きたいらしいのです。何の前触れもなく、母の中では「家族で最下層」と認定している三男を指定し、「車の鍵をよこせ!」と大暴れしていたのでした。

墓参りはともかく、いまだに車の運転が「できる」と思っていること自体があまりにも危険で、たまたま有給休暇で自宅にいながら、「我関せず」の態度に終始する妹にも少なからず憤りを感じながら(笑)、眠い目を擦りつつ「対処」に向かう私なのでした(笑)。

 

三男も4月からは一人暮らしを始めるので、「最後のばあば孝行」ということで、三男が運転して墓参りに連れて行ったそうです。あれが買いたい、ここに寄りたいとまさに「タクシー代わり」に三男を振り回したそうですが、墓参りの際には、

 

「あんたは三男で家を出るから、もうこのお墓にはお参りできないかもしれない(だから、しっかりお参りしておけ!)。」

 

と言われたそう(笑)。実家を出るにあたっても、長男が三男に「格下げ」されたことは譲れなかったようです(笑)。

 

帰り際、子供たちが通った小学校の前を通った際には、

 

「そういえばあんたが4年生の頃はクラスが荒れてたね~」

 

と、やけに昔のことは実に正確に覚えていたそうで、三男(元・長男)も驚いていました。けれども、

 

「でも、あんたは三男だからね~」

 

と、「三男」であることはもはや絶対に譲れない様子(笑)、この点についてはもはや諦めて、今後も「三男」として生きていく覚悟を決めたようです(笑)。

 

散々孫を連れ回し、長男なのに三男と決めつけつつも、なぜか満足そうな表情でお墓に備えるお花を大事そうに抱えながら帰宅した母に、きっとこれからもまだまだ振り回されるだろうな、と暗澹たる気持ちになった私なのでした(笑)。同時に、「わけがわからなくなってしまった」母が、万が一にも他人様にご迷惑をお掛けするようなことがないように、最大限の配慮をするのが家族の義務だということを改めて強く感じた火曜日の朝なのでした。

 

母の頭の中では、次男が長男に格上げ、長男が三男に格下げされているのですが、では「次男」は誰?と不思議に感じるのですが、もしかしたら私と次男が二人とも「長男」だと思い込んでいるのかもしれません。母のみならず、もはやこっちまで「わけがわからなく」なってしまっています(笑)。

 

頑張りましょう!

昨日は三男(元・長男)の大学の卒業式だったらしいのですが、そんなことは全く知らず、私としては「通常運転」でした(笑)。今さら卒業式に親が出てほしいという年齢でもないと思われるので(笑)、それはそれで構わないのですが、とにかく無事卒業できたのはよかったと思います。

 

そういえば、今から三十数年前(笑)、私の大学の卒業式に、なぜか母が遠路はるばる出席していたことをふっと思い出していました。私が特にお願いしたわけでもなく、かといって強く拒絶する理由もなく(笑)、「あ~いるんだ~」くらいの感覚だったのですが、母なりの「出席しなければいけない理由」があったのかもしれないと、今になって感じています。

 

大学1年生の春に、父が末期がんであることが判明しました。病院からこっそりと電話があって、

 

「お話があるので来院してください。」

 

と伝えられた時には、いくら鈍い私でも、おおよそのことは察しておりました(笑)。母はただただおろおろするだけだったのですが、父に病状を悟られないように、当初の予定通り大学入学後に「一人暮らし」を始めた私なのでした。

しかしながら、父の病状の悪化は予想よりもずっと早く、医師からは、

 

「来春まで持たないかもしれません。」

 

との「最後通告」を受けてしまいました。この期に及んで母から、

 

「自宅から新幹線を使って通学してほしい。」

 

と懇願され、私の「一人暮らし」は僅か半年ほどで終了してしまったのでした(笑)。

その後母は「自分が納得するまで、最期まで面倒を見たい」と、小学校教諭の休職手続きを進めていたのですが、その前に、実にあっさりと、父は逝ってしまったのでした。

 

その2年後、大学4年生の時には自宅で祖母が死亡しているのを私が発見、その時も母はおろおろするだけで、全くの「役立たず」でした(笑)。つまりは私が大学に在学していた間に、2人の家族を亡くしてしまった訳です。

 

そんな中での私の「卒業式」、な~んにもいいことなんてなかった「我が子の大学生活」でしたが、それでも、

 

「何とか倅を大学卒業させてやったぞ!」

 

という母なりの意地もあったのかもしれません。その姿を目に焼き付けようと、わざわざ出てきたのかもしれませんが、今となっては本当のところはわかりません。

 

私にとっての「節目」であった「卒業式」が、実は母にとってもひとつの「節目」だったのかもしれないと、ふと感じた次第です。奇跡が起きて、母が覚醒するようなことがあれば、その時は、

 

「実のところ、どうだったの?」

 

と聞いてみたいと思った、月曜日の夜なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

昨日から最終的なチェックと提出作業に入った「確定申告」ですが・・・

何とか無事終了しました。昨年度は母が認知症を罹患し、それまで母に任せていた事務が大幅に滞ってしまい、例年になく大変な作業となってしまいました。

 

生命保険類についても、母が勝手に加入していた保険をすべて把握している訳ではなく、また今年は保険会社が「黙って預かっていた」学資保険の満期金について、高校入学時、大学入学時のものを一気に払い戻した影響で、例年であれば「やらなくてもよい」事務作業が増えてしまいました。母が病気になってしまったという事実を改めて思い知らされた「確定申告」でした。

 

期限が決められた「義務」はようやく果たせた格好ですが、「母の後始末」はまだまだ続きます。私たちが全く預かり知らなかったことがあまりにも多く、どこから手を付けていけばよいのかさっぱりわからないのが実情ですが、とにかくひとつひとつ片づけていく他ありません。始める前から気が遠くなるような作業ですが(笑)、母がこうなってしまった以上は仕方がありません。新年度のうちにはあらかた片づけられるよう、4月以降も順次対応していこうと思っております。

 

また、大変ありがたいことに連日塾へのお問い合わせも頂戴しております。上述のように文字通りの「貧乏暇なし」状態であり、通常であれば極力早期に対応させて頂くお電話やメールでのお問い合わせについても遅延が生じてしまっております。4月以降の授業スケジュールの作成等、まだまだ頭の痛い問題が山積しておりますが、来週からは順次対応していく所存ですので、今しばらくお時間を頂戴できますと幸いです。

 

そんなこんなで、ようやく「終わった」ものの・・・

散乱した経理の書類、これどうするの?(笑)。

 

ひと仕事終えてからの「片づけ」に、どうしても気が乗らない私なのでした(笑)。

 

まあ、明日でもいいよね?明日でいいことは明日に回してしまう、勉強においては、このような態度は禁忌なのです(笑)。

 

頑張りましょう!

 

先週をもって高校受験は無事終了したのですが、今度は「確定申告」の締め切りが月曜日に迫っています。

もっと早期にやってしまえばよいと言われればそれまでなのですが(笑)、学習塾の場合はどうしても年末から3月初旬までは「受験対応優先」であり、また当塾のような零細塾は税理士さんに頼るほどの経営規模でもなく、経営者である私自身が処理することになります。この「何の得にもならない作業(得どころか、逆にお金を払わなければならない(笑))」に時間と労力を費やすのは、心身ともに実に「骨が折れる」作業なのです(笑)。

 

私はもともと簿記の知識はあるのですが、それでも1年間の経営を見れば、なぜか金額が合わなかったり、おかしな処理がされていることが多々あるものです。そんなことをひとつひとつ修正していくと、毎年「締め切りギリギリのタイミング」になってしまうのでした。個人事業主の方であれば、私の心情をご理解いただける方も少なくないのでは?と思っております。

 

来週には三男(元・長男)の引っ越しも控えており、明日日曜日には赴任先に持っていく自動車のオイルやバッテリー交換などの整備もしなければなりません。確定申告については今夜中に目鼻を付け、明日の自動車整備のための「時間と体力」を確保しておかなければなりません。そのため、ブログの更新もこんな時間にずれこんでしまった次第です。とはいえ、まだまだ「終わり」が見えない状態なのですが(笑)。

 

花粉症の時期に毎年強いられる「苦行」にはホトホト参ってしまうのですが(笑)、それでも申告は「国民の義務」ですので、何としても間に合わせなければなりません。忙しさが続く「年度末」を何とか無事に乗り切ろうと、最後の力を振り絞る私なのでした(笑)。

 

花粉症で目が痒くて、数字がよく見えません(´;ω;`)ウゥゥ。

 

頑張りましょう!

本日は公立高校の合格発表日、当塾の受験生は無事合格となりました。

 

当塾は小さな塾ですので、たくさんの受験生を抱えている訳ではありません。成績的にも「まず大丈夫!」だとはいえ、受験には常に「まさか!」がつきものなのです。とにかく無事合格となり、心から安堵している私なのでした(笑)。

 

高校受験の場合、「合格者」よりも「不合格」となる子が圧倒的に少ないのが現実です。中学校側も重々承知のこととは思いますが、今回は運悪く不合格の憂き目に遭った子たちに対しての「心のケア」を徹底していただきたいと強く感じます。

同時に、今回残念だった子たちについては、「この程度のこと(あえて「この程度」と言わせて頂きます)」でやる気をなくしたり、人生に対して投げやりになったりしないでほしいと思うのです。今回の結果は、裏を返せば「得難い挫折の経験」を得たとも解釈できるのです。人生はまさに「挫折の連続」であり、大切なのはいかにそこから「這い上がっていけるのか」ということに尽きるのです。早々に「挫折」を経験した皆さんは、15歳にして実に大切な「経験則」を手に入れることができたのかもしれません。この手痛い「敗戦」をいかに今後に生かしていくのか、「本当の勝負」はそれからだと私は思うのです。悔しさを胸に、大学受験で「リベンジ」を果たした子は当塾にも大勢いるのです。一敗地に塗れた子供たちが雄々しく「復活」する姿を、私は楽しみにしているのです。

 

一方で、今回「実に運よく」合格を手にした人たちは、努々「調子に乗って」はいけません(笑)。今はようやく「スタートライン」に立ったばかり、これが「ゴール」だと勘違いをしてしまったのであれば、3年後には「悔しさを胸に頑張った子たち」に見事に「追い抜かれている」ことでしょう。合格という喜ばしい結果を得た以上、悔しい思いをした「戦友」たちの分まで頑張らなければいけない「義務」があると思っていただきたいと、私は考えるのです。運よく与えられた「望んでいた環境」を生かすも殺すも、あなたたち次第であるということは決して忘れないで頂きたいと強く感じます。そしてご両親はじめ、あなたを「支えてくれた人たち」への感謝を忘れないように。あなたの「勝利」は、あなただけの努力で成し遂げられたものではないという事実を、しっかりと認識すべきなのです。

 

高校受験も終わり、いよいよ新年度の準備が本格化するのですが、この時期になると毎年一抹の寂しさを感じてしまうのは、「塾屋の性」なのでしょうかね?(笑)。

 

頑張りましょう!

ようやく受験が終了し、ただでさえ新年度への準備が忙しい中で、母の容態は日に日に悪くなっているようで、家族揃ってホトホト参っている状態です。

 

先月より向精神薬が処方され始めたものの、特段の効果は見られず、時に非常に感情的になったり、コソコソと自分勝手な行動を止めようとしない姿勢には、家族としては我が家に新たな「反抗期の子供」を迎え入れてしまったような心境になっているのです。

 

特に困っているのが連日の「買い物」で、毎日同じ食材を買ってきては、買った食材そのものには全く関心を示さず、母曰く、

 

「じゅくちょう(私)と(私の妹)の食べ物がないから、仕方なく買い物に行ってやっているのだ!」

 

と訳の分からない抗弁をするのです。徒歩で20分ほどの距離に地元では大手と称されるスーパーがあり、そこで連日「同じものを買ってくる」生活を繰り返しているのです。

特に困っているのが「ナマモノ」です。上掲の写真には「わさび漬け」と「しらす」が写っていますが、この他にも生肉やコロッケなどのお惣菜等々、いわゆる「保存のきかないもの」ばかりを連日買ってきてしまいます。何度窘めても全く「効果なし」、これには心底参ってしまっております(笑)。

 

加えて、決して近いとは言えない距離、交通量もそこそこある道のりを一人で歩いて出ていってしまうのは、極めて危険なのです。もちろんそのことについても何度も説明し、買い物に行きたければ誰かが一緒に車で連れて行ってあげるからと説得しても、まさに「聞く耳」を持たない状態です。

 

買ってきてしまった食材については、何とか無駄にすることなく消費しようと試みてはいますが、それにも限度があります。特に「わさび漬け」などは一気にたくさん消費できる食品ではなく、大変困っているのですが、結果として多くの食品を廃棄するほかない結果となってしまっています。丹精込めて食品を製造されている皆様には、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいなのです。

 

この期に及んで、

 

「お前たちのために、わざわざ買い物に「行ってやっている!」」

 

という「上から目線」の態度に、直接母の対応をすることが多い妹は既に爆発寸前(笑)、そもそも家族の中で、私以外の人間の発言については「気にも留めない」母の不遜な態度は、ボケているとかボケていないとかは関係ない、母の「素」の性根が垣間見えているような気がしてならないのです。

 

家族の言うことの「正反対のこと」ばかりしている(そうせざるを得ない思考になってしまっているのかもしれませんが)母の「安全」を考えれば、医師と相談の上、「次の段階」に進まざるを得ないかもしれないと、ふと考えた木曜日の朝なのでした。

 

悲しいけれど、仕方がない・・・

 

頑張りましょう!

時が経つのは実に早いもので、あれからもう15年の日々が経過しました。

ここは果たして本当に「日本」なのだろうかと、目を疑うような光景が連日報道されていたことを、15年経過した今もなお生々しく思い出してしまうのです。

当時幼稚園の年中さんだった次男が、テレビの「津波」の映像を見る度に、

 

「パパ、遠い所へ引っ越そうよ~」

 

と何度も訴えていました。我が家は海岸線から僅か数百メートルの距離、次男にとってはお気に入りの「お散歩コース」が、あの日を境に「恐怖の対象」となってしまいました。

 

三島教室近隣には東京電力の家族寮があり、そのご子弟も数多く当塾に通ってくれていました。ある日、父親が東京電力に勤務している子数人が集まって、何やらコソコソと話をしていました。

 

「お前のお父さんは大丈夫だろうけど、うちのお父さんはどうやら危ないらしい。会社辞めさせられるかも。」

 

「うちのお父さんは来週から福島に行かなければならないんだって。」

 

一時は東京電力の従業員にも心無い言葉が投げかけられていたこともあり、いったいこの子たちが何をしたというのだろうと、私自身も大変心を痛めました。

 

真夏の「計画停電」の中、電気もエアコンが使えない灼熱の教室で、一人懐中電灯を手にしながら、暗闇の中、ひたすら塾生を待った夜。

 

車での帰り道、信号機にさえ電気が通らず、発電機が据え付けられていたこと、こんなにたくさんの家があるのに、ただの一軒さえも灯りがともる家がなく、漆黒の暗闇の中で、

 

「もうこの国は終わってしまったのかもしれない。」

 

と真剣に感じた日。自分自身のことよりも、まだまだ長い人生が残っている我が子や塾生たちの将来に対して、言い知れぬ不安を感じた夜。

 

きっとこの先も、少なくとも私が生きている間は、「あの時」のことを忘れることはできないでしょう。

自然の大きな力の前では、我々人類はあまりにも無力なのです。苦労の末、ようやく手に入れた「小さな幸せ」は、あまりにも簡単に「なかったこと」にされてしまうという現実を、我々は「あの時」に身をもって、嫌というほど痛感させられました。どうにかこうにか「今」を「生かせて頂いている」我々は、「地震や津波に負けない!」などとは決して言えるはずがないのですが、それでも「あの時」にどんなことがあったのか、今、どうすべきだったと考えるのかという「想い」を、震災を知らない世代の子たちに伝えていく「義務」があるのではないかと、15年目の「節目」に、ふと考えた私なのでした。

 

だから絶対に「忘れないぜ!」。

 

改めまして、震災によってお亡くなりになった皆様のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

 

頑張りましょう!