エフォートアカデミー塾長日記

エフォートアカデミー塾長日記

静岡県三島市の学習塾「エフォートアカデミー」のブログです。
塾での出来事やお知らせを、私塾長の鈴木がお知らせいたします。
エフォートアカデミーのホームページは、
http://www.effort-aca.com
です。よろしくお願いいたします!

以下の記事について、某生命保険会社との「揉め事」が、既に1か月半を経過したことになります(笑)。

結論としては、

 

「もうどうでもいいから、既存契約の内容だけでも教えてくれ!何の保険に入っていて、どんな保証が受けられて、支払いがいかほどなのか、契約した本人がボケてしまっているのだから、それだけでも早急に教えてくれ!」

 

と依頼しているだけにもかかわらず、なぜか、

 

「本社にてリーガルチェックをしています!」

 

などという謎理論を展開し、1週間待つように言われてしまいました。そしてきっかり1週間経過した本日、1通のメールが届きました。

「リーガルチェック」などというものだから、内容証明郵便か何かで届くものだとばかり思っていましたが、何のことはない返信メールへの添付ファイルでした(笑)。まあ、それはそれでよいのですが、メールを開封しようとしたら、

 

「パスワードを入力してください!」

 

の表示(笑)、「リーガルチェック」はしても、「メールのチェック」はできないのか!と、さらに憤ってしまった私なのでした(笑)。

1週間も待たせた挙句、このような「超初歩的」なミス、これは「意図的」ではないかと疑ってしまいます。いや、おそらくは意図的なのでしょう。極めて悪質だと思います。過大請求や疑わしい「保留金」の件を含め、然るべき機関にご報告差し上げるつもりです。この会社が終始一貫しているのは、あまりにも誠意がないことであり、もはや銭金の問題は超越しているように感じます。

 

現在、母があちこち加入していた他の保険会社にも同様の対応をしていますが、母が認知症であることを説明したところ、

 

「お困りでしょう、すぐに対応いたします!」

 

と、保険証券の再発行まで迅速に対応して頂いた会社もありました。このような例を見れば、生命保険会社すべてが「怪しい」訳ではなく、一部の会社、もっと言えば一部の支店や支社に限った問題なのかもしれません。そしてこのようなごく一部の「デタラメな人間たち」が、多くの善良な社員に対する「面汚し」的な存在になっているのかもしれません。

 

いずれにしろ、にぎにぎしくも1週間以上かけて、「リーガルチェック」まで経たという、いわくつきの「回答書」は、パスワードがかかっていて開封できないという、あまりにもお粗末な結末となりました(笑)。当然のことながら、既に当該会社にはその旨を返信していますが、これから授業があるため私も対応ができません。どの道明日の対応にならざるを得ないでしょう。

 

こういう保険会社もあるんですね~、ちょっと勉強になりました、解約するけど(笑)。

 

頑張りましょう!

 

先日、「いじめ」についての記事を書きました。

子供の間の「人間関係」というのは大人以上に複雑なもので、「ちょっとしたこと」で軋轢が生じ、それが結果として「いじめ」に繋がることも多々あります。

精神的・肉体的「いじめ」が心身に大きな悪影響を及ぼすことは当然のことなのですが、その「いじめ」の事実を大人が知る前の「兆候」が、学習面において垣間見られるケースが散見されるのです。

 

これまで比較的順調に推移していた学業成績が、急に「頭打ち」になったり、酷い場合は「急降下」したりすることがままあるのです。一見すると子供の様子に大きな変化は見られないのに、急に学力が伸び悩み始める原因のひとつに、子供同士の「人間関係」が起因している可能性があるのです。「いじめ」とまではいかなくとも、これまで円滑であった友人との関係が、何らかの原因によって「うまくいかなくなった時」、どう対処してよいかわからずに、結果としてすべてのことに対して「無気力」となってしまうケースを、これまでも何度か見てきました。このケースにおいて最も深刻なのは、そんな状況を親自身が全く把握できていない場合であり、またそのような状況に至る事例が非常に多いということなのです。

 

責任感の強い子は、極力「親に迷惑を掛けたくない!」という気持ちが強いでしょうし、いじめに類する被害を受けていることを親に知られるのが「恥ずかしい」と感じる子もいます。結果として身近な大人に「真実」が伝わることなく、子供は悶々とした日々を強いられることになります。このような状況において「主体的に学習に取り組む」ことなど、できる訳がないのです。

 

親にも、ましてや学校の先生なんかに相談することなんてとてもできないけれど、「塾のおっさん」には本音を漏らすことができることもあるのです(笑)。学力が低迷している本当の「原因」は何なのか、より深く掘り下げていくことが我々の仕事ですし、親や学校の先生とは異なるスタンスで子供たちに接しなければいけないのが我々の努めだと常々考えているのです。

 

学力の低迷が「勉強不足」や、ましてや「勉強のやり方がマズいから」などという、極めて短絡的な理由だけで捉えていると、取り返しのつかない事態に陥る可能性があるのです。勉強のみならず、人間が「生きていく」上においては、時に「第三者的な視点」や「俯瞰的なものの見方」が重要となる場合があるはずなのです。「人間はそれほど単純な生き物ではない」という当たり前の事実が子供にだって当てはまるという「現実」を直視した上で、時には「第三者(プロ)に任せてみる」という姿勢も、子を持つ親として重要な視点ではないかと考える次第です。学力のみならず、お子様の生活全般にご心配を抱える保護者様は、ぜひ一度お気軽にご相談ください。

 

まあ、「子供の世界」も、大人以上に複雑なんだよね(笑)。

 

頑張りましょう!

 

「アマゾンプライム」に加入している私は、加入者は無料で利用できる「アマゾンフォト」を使っています。動画の保存量は僅かですが、画像については無制限なようで、スマホの容量をセーブするのに大変役立っています。

 

他のストレージでも同じだと思うのですが、連日「過去の「今日」にこんなことがありました!」と懐かしい写真類を再生してくれる機能があります。本日はこんな写真が表示されました。

ちょうど1年前の今日、当時の主治医に「匙を投げられて」しまい(笑)、現在の医院に転院し、以降主食を「オートミール」に変更したのでした。それが去年の今日、12月22日だったらしいのです。アメブロに保存してある写真を確認すると、上掲の写真と同じものが確かにありました。

 

この1年、血糖値や血圧については極めて「落ち着いている」状況で、投薬は継続しているものの、数値自体は全くの「平常値」なのです。何なら、血糖値も血圧も、認知症である母の方がずっと高い(笑)、加齢による衰えは隠せないものの、「大過なく過ごせている」ことだけは疑いのない事実なのです。

 

そんな私の健康維持に、一役も二役も買っているのは、写真の「オートミール」なのでした。

正直なところ、「ごはん大好き党」の私としては、

 

「こんなの、マトモに食べられるの?」

 

と思ってしまっておりました(笑)。見た目は「鳥の餌?」という感じで、どう見ても美味しそうには見えません(笑)。けれども、実に簡単なレシピ通りに温めれば、「白ごはん」とまでは言わないまでも、私にとっては「白ごはんの代替品」として十分に機能を果たすシロモノでありました。もっとも、これは私が「性に合った」だけであって、万人にお勧めできるお味では決してないのですが(笑)。

 

カロリーは低く、栄養素も豊富、何よりも500g150円という、米の高騰をもろともしない安価っぷり(笑)、「味」という論点を除いては、私のような糖尿病患者にとっては文字通り「スーパーフード」と呼ぶに相応しい「主食」でありました。そしてこれからも、私にとって貴重な栄養源であり続けてくれることと思います。

 

健康を回復するために何かを我慢しなければいけない時、私にとって「オートミール」と出会えたことは非常に幸運だったと思います。加えて、この「オートミール」なるものが、意外にも「主食の代替品」と成り得たことは、まさに「幸運が重なった!」と、今になって考える次第です。私と同年代の方々は、どんなに「若作り」を頑張ったとしても、そろそろ「ガタが来る」時期でしょう。食事の内容について「再考」を迫られている方は、一度「オートミール」を試してみることを強くお勧めする次第です。

 

まあ、白米よりは・・・ですけど(笑)、意外にイケると思いますよ(笑)。

 

頑張りましょう!

「義務教育」とは、生きていく上で「最低限知っておいた方がいい」という知識であると、私は考えているのです。

知らなくても「生きてはいける」けれど、知らないと「恥をかく」ことや「生活上著しく不便」になることを、ある程度覚悟しなければならない、という性質のものではないかと思うのです。

換言すれば、義務教育の学習範囲においては、きちんと勉強に取り組んでさえいれば、どう転んでも「一ケタ点数」が並ぶような結果に陥ることは(特別な事情がない限り)ないと言えるのではないかと考えます。

 

とはいえ、勉強は誰にとっても決して愉快なことではなく(笑)、とにかく「手がつかない」という人も多いのではないかと思います。そんな人に対して、私は時として「一点豪華主義」をオススメしているのです(笑)。

 

勉強の中で(できれば主要5教科の中で)、少しでも興味がある分野に「まずは」特化してみることを推奨しています。そもそも「全くできない状態」から、全ての科目の点数を上げよう!などと考えること自体が「図々しい」のかもしれません(笑)。少しでも興味のある科目から取り組んでみて、その成果が少しずつでも現れた時、ある種の「自信」が芽生えてくるのです。

 

「この科目の成績が上がってきたのだから、もしかしたらほかの科目も頑張れば何とかなるかも?」

 

こんな好ましい「勘違い」を自覚してくれたのであれば、教える側としては「しめたもの!」なのです(笑)。小さな「成功体験」が、学習への取り組み方を劇的に変える典型例とも言えるでしょうし、このような経緯を辿って学力向上を果たした塾生が過去に何人もいたのです。

 

繰り返しになり恐縮ですが、中学受験を目指したり、あるいは学習上の問題を抱えている等の「特別な事情」がない限り、本来公立の学校で学ぶ「義務教育」の範囲においては、個々の学習能力に関わらず、さほど差が出ることはないと私は考えているのです。現実的に差が出ているのは、学習量や学習の質の違いであって、これを改善するのは「その気さえあれば」十分に可能なのです。特に勉強そのものを極端に忌避する生徒については、学習全体を「押し付ける」ことよりも、少しでも興味がある分野に特化してでも取り組ませてみることが、意外な効用を生むケースも少なくありません。

 

まずは「得意なもの・好きなもの」から始めることだって、決して「悪手」だとは、私には思えないのです。「一点豪華主義」だって、悪いことばかりじゃないのです(笑)。

 

頑張りましょう!

私は学生時代の一時期、「英語」を大いに苦手にしていました。

 

当時の偏差値で言えば「30台」、もはやこの状態では日本中どこの大学にも合格できないのではないか?という低レベルに甘んじていたのです。

こうなると、学校の授業内容なんて一から十までちっとも理解できず(笑)、「何から手を付けていいかわからない」状態になってしまい、「わからない」→「わからないから、やらない」→「ますますわからなくなる」という悪循環に陥ってしまいます。

 

評判の良い参考書などを手にしてみても、基礎的な知識が乏しいのですから、そもそもまともに読むことさえできないのです。事ここに至れば、潔く「諦める」人も少なくないと思いますが、元来諦めの悪い私としては、「座して死を待つ」ことだけはしたくなかったのでした(笑)。

 

「わからない」のだから、大学入試などという高尚なレベルを早々に放棄し、「できること」からやり直すことにしたのです。というよりも、「これしかできなかった」と言った方が正確なのかもしれません(笑)。

とにかく「英単語」「英熟語」の類いを、可能な限り「覚えまくった」のでした(笑)。現状において「理解力」に乏しいのだから、「記憶力」に頼るほかないのです。単純に「覚えること」は、決して愉快な作業ではないのですが、それこそ「頭の良し悪し」は関係がなく、ただ単に「やったか、やらなかったか」だけの話です。

夏休み期間である1か月強の間、唯一の「できること」であった「記憶」を、時に気が遠くなるくらいまで頑張りました。その気になれば、英単語など2~3週間ほどで2000~3000語くらいは十分に覚えられますし、実際そのような経験をされた方は、私以外にも少なからずいらっしゃるのではないかと思うのです。何しろ、「それしかできない」のですから、仕方がありません(笑)。

 

結果、秋口には偏差値が30以上上昇したのには、私自身が最も驚いてしまいました(笑)。単語の意味が分かる→文章全体の意味が「だいたい」わかる→それをもとに、文法書などにあたると、これまで以上に理解が進む→何だか少しだけ「英語」が好きになる(笑)→勉強時間が増え、質も上がる→偏差値が急上昇する(笑)、という好循環が生まれたのでした。これは私自身の数少ない「成功体験」のひとつなのです。

 

「勉強のやり方がわからない」などと訴える人が時折いますが、私から見れば(本音を言えば)「は~?」という感じなのです(笑)。「できない」なら「できること」からやればいい、それが「見当違い」であるならば、私が「軌道修正」して差し上げます(笑)。それに、たとえ「見当違い」な勉強であったとしても、自ら主体的に取り組もうとした「姿勢」そのものが、その後の学習、いや学習にとどまらず、人生そのものに好ましい影響を及ぼすことは間違いがないことを、私が保証いたします(笑)。

 

グズグズと「言い訳」を並べる前に、まずは「やってみること」、その主体的な姿勢を、私は全力で支持するつもりです。

 

頑張りましょう!

昨日、ちょっと気になる記事を目にしました。

 

焼津市の中学校で「いじめ」があり、それを苦にして自ら命を絶ってしまった生徒の保護者が、焼津市を相手取って損害賠償を提起した案件です。焼津市は争う姿勢を見せていますが、学校側に「非がない」と考えているのであれば、徹底して争えばよいと思います。私はこれまで、様々な「いじめ」とカテゴライズされた案件を見てきましたが、学校側に非があるとは到底思えない案件も、少数ながら見ています。ぜひ裁判で真相を明らかにして頂きたいのですが、万一学校側に明らかな非があると認められた場合は、悲しみに暮れるご遺族を尻目に、いたずらに解決を引き延ばそうとした「罪」は、「いじめの見過ごし」以上に罪が重いことを、焼津市は自覚しておくべきでしょう。それでもなお客観的事実に基づいて「学校側の非とは言えない」と主張するのであれば、徹底的に争えばよいのです。何よりも大切なのは、「何があったのか?」という「真実」ですので。

ところで、私は先日以下のような記事を書きました。

私の印象では、公立の学校における「いじめ」への対応には、あらゆる面で問題が多い気がしています。教員の能力・倫理観の欠如が原因なのか、あるいは公務員特有の「事なかれ主義」が蔓延しているためなのか、理由は定かではありませんが、「実にマズい」と思われる対処を平然とやってのけているケースを、私自身が何度も見ています(詳細は言えないけど(笑))。もちろん実によく頑張っている先生方も少なからずいっらっしゃいますが、誠に残念ながら、「偉くなる公務員」に必ずしも「真心」が備わっているとは限らないのです。そして、そんな「大人の打算」の犠牲になるのは、いつだって立場が弱い子供たちなのです。

 

当塾からはこれまで数多くの中学受験生を輩出していますが、彼らが進学した私立中学・中高一貫校においては、「いじめ」に対する対応が「良くも悪くも」迅速であり、学校として「いじめを決して許さない!」という姿勢が明確な印象を受けるのです。

もっとも、それだって「学校の評判を落としたくない=受験生を確保したい!」という経済的打算によるものかもしれませんが、結果として「いじめ」から子供を守ることに繋がっている側面は否定できない事実です。

 

とある私立中学において、不祥事を起こした生徒が学校を去ることとなったのですが、当の学校側の対応が、

 

「そんな子は、もともと在籍していません!」

 

という、ちょっと笑ってしまうような、ある意味では断固とした対応でした。先生方が一致団結して、

 

「そんな子はもともといなかったのだ!」

 

という意識で話を合わせ、生徒たちにも半ば無理矢理つき合わせる(笑)。これが「まともな手法」かどうかの評価はさておき(笑)、学校として「いじめ」は絶対に許さないという姿勢だけは強烈に伝わってくる出来事ではありました。全く肯定はできないけれど(笑)。

 

かなり偏った対応ではあるのですが、「我が子を守る」という観点も考慮しつつ、「どちらを選択する」かの判断をすべきではないかと強く感じます。

 

ひとつだけ確かなのは、公立の学校において、「いじめ」問題に対する「まともな対応」を期待するのは、もはや難しいという「事実」だけだと、私は考えているのです。

 

学校は「厳しくも、楽しい」場所であるべきなのです!

 

頑張りましょう!

 

昨日の記事にも書きましたが、またしても母宛の「謎の請求書」の対処について、午前中から動いています。

テレビコマーシャルなどでも度々目にする「某常備薬会社」の「定期販売」について、母が独断で申し込んでいたようで、果たしてこれがどのような経緯で契約に至ったのか、当該企業に問い合わせをしました。

その結果、どうやら、

 

「6月に(当該企業からの)電話による営業で契約に至り、以後2回商品が送られているものの、支払いが済んでいない」

 

とのことでした。先日主治医の先生から頂いた診断書には、母の「アルツハイマー型認知症」の発症は4月、完全に発症してからの契約ということになります。

当然企業側とすれば、相手が認知症だとはわからなかったとは思いますが、出所不明の怪しい「名簿」によって、後期高齢者を狙って電話営業をすることが、果たして「社会の公器」たる企業倫理に沿った行動なのか、そもそも企業倫理なんてものは大した意味がないとお考えであるのか、私自身が「制御不能」の認知症患者を抱える身となって初めて、欺瞞に満ちた世の中を、そして制度的に極めて不十分だと言わざるを得ない商慣習に、驚きを隠しきれないのです。たった一人の母だけのケースにおいても、今回と同様な「怪しい契約」を10件近く処理しなければならないというのは、やっぱりこの国の商慣習は「狂っている」と断じざるを得ないと思うのです。

 

加えて、前回書いた記事の「保険会社」について。

 

当該保険会社への私の問いかけに対して、

 

「現在本社で「リーガルチェック」をしており、回答まであと1週間ほどかかる」

 

とのこと、母の独断により家族名義で結んだ契約内容を問い合わせているだけなのに、その回答内容を顧問弁護士にわざわざ精査してもらっているということは、よほど「揚げ足を取られたくない」何かがあるのでしょうか?(笑)。まあ、弁護士が出てこようが、「事実」は曲げられませんのでどうってことはないのですし、今の世の中、イリーガルとまでは言わないまでも、法的な解決方法だけに固執するのも問題があることくらいは、先方の「偉い人」も理解されているんじゃないかと思います。

 

母の「尻拭い」を通じて、この国が、いやこの国の商慣習が、とりわけ老人のような社会的弱者にとっては「生きづらい世の中」となっているという事実を、改めて実感した次第です。

 

「ご病気は大変お気の毒ですが、ご本人が契約されておりますので(しっかりお金は払ってね!)。」

 

おそらくは同様なケースがいくつもあり、しっかりとマニュアル化されているであろう、文字通りの「慇懃無礼」な対応に、軽い殺意を覚えた私なのでした(笑)。

 

もはや手慣れてるな、このおばさん(笑)。

 

頑張りましょう!

昨日、授業終了後に強い睡魔に襲われた記事を書きました。

睡眠の「量」というか、「バランス」が崩れていることが、体調がよくない原因だと自覚しています。昨日火曜日は母を連れて朝一番から歯科受診に向かい、本日水曜日もデイサービスに連れていかなければならず、先週末から午前中はほとんど母の「用事」に付き合わざるを得ないのです。だからといって、夜の仕事が早めに終わるわけではなく、睡眠の量とバランスが崩れてしまうのは、まさに必然と言えるでしょう。わかってはいますが、だからといって劇的に改善できる方法がある訳でもなく、しばらくの間は何とか耐えるしかないと思っています。

 

そんな折、某「製薬会社」から14000円の請求書が届きました。もちろん購入者は母(笑)、これで何通目の請求書でしょうか?

日付を見ると11月初旬とのことで、母が自由に使っていた自宅の固定電話を撤去する直前のことだったようです。最後の最後まで、よくもやってくれたものです(笑)。

明日にでもこの製薬会社に電話をかけ、契約の詳細を確認するつもりですが、こう何度も「同じことの繰り返し」が続くと、家族としてはさすがに疲弊してしまいますね(笑)。人間の体調は、疲労や病気よりも、精神的な疲弊の方が与える影響が大きいのではないかと、改めて感じ入った次第です。

 

果たしてこれ以上の「不祥事」がなく、無事に年末年始を迎えられるのか、我が家にとってはまさに「正念場」というところなのですが(笑)、まずは母の「置き土産」をひとつひとつ解決していかなければ、いつまでも私の「安眠の日々」は訪れません。実に気が重い作業ではありますが、散々世話になった母のことですので、できる限りの「尻拭い」はしてやりたいと、強く感じた水曜日の午後なのでした。

 

死んだように眠ってみたいわ!(笑)。

 

頑張りましょう!

 

今から10年ほど前までは、今から考えても少々無理な仕事量をこなしていたと思います。

中3生に至っては、月曜日から金曜日まで毎日5時間の授業を強いて、そのすべてを私が一人で担当していました。その他の個別授業もあり、連日7時間以上の授業に加え、事務作業などもあったので、帰宅は朝方という生活を何年も続けていました。とはいえまだまだ体力的には大丈夫であったし、何よりも連日頑張る塾生たちの期待に応えたかったこともあり、さらに言えば、そんな生活が私自身にとって楽しいとさえ感じられていたのです。

 

しかしながら、年齢を重ねるにつれ、そんな生活をいつまでも続けていけないというのは当然のことで、特に「成人病」と思しき病を次々に罹患し始めている昨今においては、自らの行動を制限しなければ、まさに「命にかかわる」状況に追い込まれかねないことを大いに自覚しているのです(笑)。

 

そんな中、月曜日は4コマの授業があり、三島教室には私一人、何かとバタバタとして大変な一日ではありました。授業自体は皆いい子ばかりで、何の問題もなく、私自身も忙しい中にも充実感をもって取り組んでいられるのですが、私の「体」の方には、自覚がないままに少しだけ無理をさせていたのかもしれません。

 

授業終了後に強い睡魔に襲われ、このまま車を運転して帰宅するのは危険だと判断し、少し休んでから帰ることにしました。以前は三島教室に何度も泊まり込んで仕事をしたことがあったので、簡易ベッドも準備済み(笑)、久々に引っ張り出して2時間ほど仮眠しました。当教室では冬場は灯油ファンヒーターを常用しているのですが、「人がいなくなった教室」というのは、体感温度以上に冷え冷えとした感じで、少し寒い思いをしながら仮眠を取ったのでした(笑)。

24時過ぎに少しだけすっきりした感じとなり、「これなら安全に帰ることができる!」と判断して帰宅しました。途中、教室近くの24時間開いているスーパーでお惣菜の残り物を物色(笑)、運よく半額のおかずを2点ほどゲットし、自宅に戻って「オートミール」を温めて食事をとり、午前4時頃に就寝しました。翌朝は9時に母を連れて歯医者に通院しなければなりません。再び「仮眠」をとって、翌朝に備えた次第です。

 

「まだまだ大丈夫!」だと自分自身は考えていても、やっぱりというか、確実に「老化」は進んでいます。「昔と同じようにできるはずがない!」という認識を常に持つことが、「不測の事故」を未然に防ぐための大切な意識ではないかと、改めて感じ入った次第です。

 

もう無茶はできません(笑)。「寄る年波」には勝てない、ということでしょうねえ(笑)。

 

頑張りましょう!

認知症である母は、毎週月・水曜日にデイサービスに出かけます。当初は「お迎え」に来て頂いていたのですが、朝ということもあり、お迎えの時間がやや不安定なため、最近は私が車で送ることにしています。通常であれば、私にとってはまだ「寝ている時間」なのですが、早起きしなければならない理由がまたひとつ増えてしまいました(笑)。

 

認知症を発症してからというもの、母はいつも落ち着きがなく、同じ話ばかりを繰り返し、ついさっきのことを忘れてしまうことが多いのですが、「そういう病気だから」とわかってはいても、普段世話をする家族としては、時々「やってられるか!」という心境に陥ってしまうことも確かなのです(笑)。それでもデイサービスの職員の皆さんは根気よく母の話を聞いて下さり、当初は強く拒絶していたデイサービスを、今やウキウキしながら行くようになってくれました(笑)。家族としては、週2日だけでも母を安全に預かってくれることは、非常にありがたいことなのです。

 

翻って、私の仕事について考えてみると、やはり少し学習や生活に苦労している子をお預かりするケースが多く、そういう面においてはデイサービスの職員さんたちと似たところがあるのかもしれないと感じます。ただひとつ、決定的に異なるのは、「限定的な未来」であるか、「長い未来がある」かの違いだと思うのです。

母のようなお年寄りは、失礼な言い方ではありますが、この先何十年も生きる方々ではありません。人生の最期を心安らかに終えられることが「目標」であると言っても過言ではないでしょう。

一方で「未来ある子供たち」の場合は、大人になって「独り立ち」できる最低限の能力を養わなければなりませんし、保護者様もそれを強く望まれているケースが多いのです。「福祉」と「教育」では、一見手法は似通っているように見えても、その「目標」が根本的に異なるように思うのです。

 

大人になってから、買い物の際に「2割引き」という掲示があった時、およその金額を瞬時に計算できないのであれば、生きていくのに支障があると考えられなくもありません。人間は誰であっても完全に「孤独」で生きていくことはできませんが、それでも親が亡くなった後でも子がしっかりと生きていくための「知恵」をつけさせてあげたいというのは、偽らざる「親心」なのだと、私は考えているのです。まさにこの点が「人生の終焉を迎える人」と「未来ある人」との違いではないでしょうか?

 

「生きていく」ための最低限の「知恵」をつけてもらうために、私は「おっかない塾長」でい続けるつもりです(笑)。いや、もしかしたらまだまだ厳しさが足りないのかもしれない・・・日々心の中で葛藤する私なのでした。

 

「憎まれ役」は私が一手に引き受けますので(笑)。

 

頑張りましょう!