2016/03/14(月)~ ふぞろいの林檎たち ~
■お世話に成ります。
産婦人科領域専門・女子専門
メンタルヘルス薬剤師・松葉芳典です。
『ふぞろいの林檎たち』はテレビドラマとして、僕が学生の頃に高視聴率の番組でした。
同じ下宿の友人達は、一つの部屋に集まって、このドラマを観たり、バンドエイドやウィーアーザワールドを歌っていました。
僕は友人達と楽しく遊ぶ事よりも、アルバイトをして稼ぐ事しか考えて居なかったので、ゴールデンタイムのドラマは、当然の様に見ていません。
バイトが終わった頃に下宿に帰ると、部活が終わった友人が毎日遊びに来て居て、志賀島までよくドライブに行きました。懐かしいですね。
詳しくは、編集後記で…
■プルースト『失われた時を求めて』(29)
長編小説『失われた時を求めて』を
読み解いて行きます。
長編小説の主題を遠くから照らし出す雛形
「スワンの恋」
ーーゆきとどいた解説と対話で味読する
『失われた時を求めて』ーー
■ソナタと恋の発生(17)
◆スワンのソナタへの恋心③
当分、スルーします。
■■==編集後記==■■
実は、原作者の『山田太一』は遠縁です。
その事を知ったのは、社会人になってから親戚の叔母さんに聞いてからです。
『ふぞろいの林檎たち』に興味がありませんでしたが、『山田太一』に興味があって色々著書の方を読みました。文学賞は沢山取っていますので、読んでみて下さい。(^-^)/
僕はハリウッド映画のラブストーリーが好きなので、邦画の様な人間の内面性を描くストーリー展開や、下町の人情にスポットライトあてる作品に魅力を感じませんでした。
山田太一は小学校3年のとき、強制疎開で神奈川県足柄下郡湯河原町に家族で転居。神奈川県立小田原高等学校を経て、1958年に早稲田大学教育学部国文科を卒業。
山田太一は就職難で教師の口がなかったので、
(僕も就職難でしたが、新卒で病院薬剤師に合格しました。この辺りから横道に逸れて行く山田太一ですが、三大脚本家として成功したんですよね。僕は会社の指示で小田原市に勤務して尚且つ住んでいますが、不思議な縁を感じます。半年小田原に住んで慣れたので、年内に新宿区と渋谷区に交通が便利な場所に引っ越します。)
《ここから先の記載は、ネットから拾いました。》
大学の就職課で松竹大船が助監督を募集していると聞かされ、松竹を受験する。
松竹に入社後、木下惠介監督に師事。木下には現在も敬愛の念を抱いているという。
1960年代前半から、木下恵介の映画をテレビドラマに脚色する仕事を始めた。1965年に退社して、フリーの脚本家になる。
木下に「連続(ドラマ)を書いてみろ」と言われて、1968年に“木下惠介アワー”枠の『3人家族』を執筆。「プロになろう。絶対当てよう」という意気込みで臨み、高視聴率を上げる。翌1969年の『パンとあこがれ』に携わって、初めて「テレビは面白い!」と思ったという。
木下に「書きたいように書いていいよ」と言われて発表した『それぞれの秋』(1973年)で、平凡な家庭が崩壊の危機に直面するさまをシリアスに描き、芸術選奨新人賞受賞。
『山田太一』の件は、ネットで調べて下さい。
僕は自分の親戚の一挙一動にあまり興味が無いので、申し訳ございませんm(__)m
先日も少し書きましたが、中洲でホストのアルバイトをして居たら、人生変わっていたと思います。今からでも遅くはありませんので、マインドセットが出来たら、その日から自分のやりたい方向にベクトルを合わせて下さい。後ろを見る必要はありません。僕は昔から、後ろを見ない性格です。今後も、ただ前を見て歩いて行きたいと思っています。好きな事は長続きしますから…。
■『市場は自分で創る』
これが私のモットーです。(^-^)/
最後まで読んで頂きまして、
ありがとうございます。m(__)m
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