《1983,11,9》

田中角栄問題に揺れる頃、同時期にコール西ドイツ首相、ロナルド・レーガンアメリカ大統領、胡耀邦中国共産党総書記が来日した。

アメリカはグレナダ侵攻をその時行っていた。グレナダ侵攻というのは、カリブ海のグレナダという島国のクーデターに乗じて、アメリカ軍およびカリブ海諸国軍が侵攻した事件である。

イギリスやフランス、トリニダード・トバゴ、カナダなど関係・近隣国だけでなく、国連総会も「国際法の破廉恥な侵害」との非難をしたと報じられた。

ところが、中曽根康弘はそれら諸国とは異なり、「アメリカを理解できる」と発言。物議を醸した。

中曽根康弘、レーガンによる日米首脳会談、いわゆるロンヤス会談は、日の出町にある中曽根総理大臣の別荘「日の出山荘」で行われた。

当日は当然大がかりな警備が行われ、日の出町という静かな町が、一躍世界的に注目された。同町にはそのときの記念碑まで作られた。



ロンヤス会談の記念碑(タチカワオンラインHPより)

中曽根康弘と会談の後、中曽根康弘とレーガンは共同新聞発表を行い「日米と同盟国の力を通しての平和に貢献しようとする決意」を述べた。

そしてレーガンは11月11日に国会で演説し、「自由防衛のための共同の負担」を強調した。

当時の中曽根政権は、一方でナショナリズムを煽るタカ派的発言があり、その一方ではこれまで以上に日米安保路線を守るという、一見すると矛盾した路線を進めた。

もっとも、これは自由民主党が戦後行ってきた政治路線そのものである。自主憲法制定が党是であるはずの自由民主党が、日米安保路線を進めば、必ず矛盾が生じる。

たとえば、沖縄問題を含めた今日の政治の混迷や動揺も、その曖昧さゆえのことかもしれない。