【題目『外奎章閣儀軌』145年ぶりの里帰り】
Author/Position:イ・ギョンヒ(李京姫、中央日報記者)
外奎章閣は朝鮮時代、正祖6年の1782年に江華島に設けられた、奎章閣(朝鮮王室の図書館-昌徳宮の敷地内に設立)の別館である。ここには王室や国の重要な行事を記録した儀軌をはじめ、千種類余にわたる、5千冊が保管されていた。しかし1866年にフランス軍が江華島を襲った際に、 297冊の儀軌を含む、340余冊が持ち去られ、残りは焼かれてしまった。『外奎章閣儀軌』の存在が知られたのはBNFの司書をしていたパク・ビョンソン(朴炳善)博士が1975年にリストを整理して公開したことがきっかけになった。パク博士は世界最古の金属活字本である高麗時代の書籍「直指」がBNFに収蔵されている事実も明らかにした書誌学者である。
【返還への道程】
奎章閣の図書を管理しているソウル大学校が1991年から『外奎章閣図書』の返還に取り組み始めた。韓国政府は1992年、フランス政府に対して図書の返還を要請した。1993年に韓国•フランス間の首脳会談が開かれた。当時、フランス政府は韓国に高速鉄道のテゼベ(TGV)を販売しなければならない課題を抱えていた。当時のミッテラン大統領は『外奎章閣図書』の中の一冊である『徽慶園園所都監儀軌』を返し、残りの『外奎章閣図書』の返還も約束した。しかし、BNFの司書たちの反対などに合い返還は行われず、政府間の交渉も難航した。『外奎章閣図書』をめぐる交渉は中止と再開の繰り返しだった。
ところが、 2010年にソウルで開かれたG20首脳会談で、両国の大統領は5年毎に更新する条件で、図書を永久に貸し出すことに合意した。韓国政府は「実質的な返還」だという、不満の世論をなだめた。フランスの法律上、正式な「返還」にはフランス法の改正が必要であるとの理由を掲げた。それからBNFと国立中央図書館の間で実務協約が結ばれた。その措置によって、図書は4月14日から5月27日までの期間に、4回にわたって韓国に里帰りした。
【『朝鮮王室儀軌』とは】
外奎章閣図書のほとんどは『朝鮮王朝儀軌』であり、 600年を超える朝鮮時代に行われた国や王室における重要行事を文章や絵で詳細に記録した筆写本である。儀軌とは「儀式」と「規範」の合成語であり、つまり「儀式の模範になる本」である。国や王室の行事の様子を詳しく記録して、後代の人々が参照する際、試行錯誤することがないように作成された白書であるわけだ。『朝鮮王朝儀軌』は2007年にユネスコの世界記録遺産に登録された。同じく世界記録遺産である『朝鮮王朝実録』とともに韓国記録文化の華といえる。実録は朝鮮王朝における主要事件を編年体(歴史的事実を事件が発生した順序通りに記述する方式)で記した資料である。それに比べて儀軌には絵が含まれているため、より立体的である。
儀軌は王子の誕生から作成されている。王子の胎を保管する場所を決め、胎室を設けて保管する過程を記録した。王世子(皇太子)になったり、王世孫(王の孫のうち将来王位を継ぐことになっている者)として決められる過程も同じであった。また、王室で婚礼があれば、『嘉礼都監儀軌』が作成された。婚礼当日の様子を記録するだけではなく、王妃を決める手続きから結納に納められる各種の品物、新郎が新婦を迎える過程までを詳細に記述した。国王や王妃が亡くなった場合は『国葬都監儀軌』が、王世子や世子の妃が亡くなった場合は『礼葬都監儀軌』が作成された。王や王妃の王陵づくりの工事を記録した『山陵都監儀軌』、3年間喪に服した後、国王の神位を宗廟に移す過程を記録した『示付廟都監儀軌』などもある。さらに、宮殿や城郭の整備、宴会、実録の編纂過程、王の肖像画である御真の製作過程なども儀軌として記録された。
儀軌は緻密で周到な記録書であった。行事に動員された人々のリスト、身の上の資料、品物のサイズや材料、一銭まで詳細に記述されている。例えば、水原華城を築造した後に作成した『華城城役儀軌』には、工事で働いた1800人にのぼる技術者の名前までもが記載されている。さらに、その名前の下には半日勤務だったとかの勤務内容が詳しく記されていて、それに合わせて支払われた給料も記載されている。朝鮮王朝は儀軌を通じて王室の行事で執行されたすべての内訳の情報を公開することで、国の財政の無駄遣いや流用の危険性を防いでいたのだ。
図画署(朝鮮時代に絵を描く仕事を担当していた官庁)に属した当代最高の画家らによって儀軌の挿絵が描かれ、絵も当代最高のレベルである。今日でも生き生きと蘇ってくる儀軌を参考に、朝鮮時代の行事を再現したり事物を原型に近づけて復元できるほどである。例えば、朝鮮戦争の際に破壊された水原華城の城郭を1975年に復元した時も、儀軌が主要な資料として活用された。復元された水原華城がユネスコの世界遺産に登録されたのも、儀軌に負うところが大きい。
【学術的価値】
朝鮮時代の王室儀軌は一度に複数を製本して、一冊は王に進上し、残りは礼曹など、国の典礼を取り仕切る機関や江華島、太白山、江原道の五台山などに位置した史庫に保管した。『外奎章閣図書』のほとんどは王が直接目を通されるため、最高級に製作された御覧用の儀軌である上、国内に存在しない唯一本が30冊も含まれており、その価値はさらに高い。御覧用の儀軌は高級紙の草注紙に最高級の絵の具を使ってシルクの装丁に真鍮製で綴じこんだ。一方、分上用、つまり数か所に分けて保管する儀軌は楮の紙を使って、麻の表紙に普通の鉄で綴じこんだ。『外奎章閣図書』はソウル大学奎章閣と韓国学中央研究院が収蔵している3800冊余りの儀軌と比べても、完成度が高いと知られる。
『外奎章閣儀軌』297冊の半分ぐらいは王室の葬儀に関するものである。残りの半分は嘉礼(王室の婚礼)、各種の宴会、世子の決定、宮殿や城郭整備などの内容が記録されている。5回にわたって『外奎章閣儀軌』の現地調査に参加した建国大学校のシン・ビョンジュ(申炳周、史学科)教授は、「外奎章閣図書の班次図(王室の行事を描いた絵)は人物の髭にいたるまで細かく描かれているほど完璧だ」と説明した。唯一本である30冊を除いた儀軌はすべて国内にもある。しかし儀軌は手書きであるため、表紙の装丁から表記の方式まで、少々違いがある。国内の班次図は時に省略された絵もあるが、王に進上された『外奎章閣図書』は、完璧な状態に近いというのがシン教授の説明である 唯一本30冊は2005年に、韓国政府とフランスが協力してデジタル化して共有していた。儀軌が帰ってくるがどうか分からない状態であったため、デジタル化してでも研究を行うために進めた作業であった。今回の里帰りで、紙の質・表紙・絵の具などについて、深く研究することができるようになった。シン教授は「写真と原本の感じは当然ながら違う。さらに、儀軌は紙の材料や質、表記方式、絵の具など総合的に調べなければならない」と述べた。韓国の歴史学と書誌学はもちろん、服飾史・美術史の研究にも欠かせない資料になるわけだ。
ところが、7種12冊を除いて、表紙はすべて改装された。フランスに移送される過程で水に濡れたり、焼かれてしまったものをフランスで手入れしたものと見られる。原型を保っている7種12冊が原資料としてもっと価値があるという。
【歓迎イベント】
1993年にミッテラン大統領によって返された1冊を除いた296冊は、航空便で4回にわたって帰ってきた。アシアナ航空と大韓航空が熾烈な競争を繰り広げた末、一回ずつ交互に輸送することになった。里帰りした儀軌はすべてソウルの竜山にある国立中央博物館の収蔵庫に直行した。
歓迎イベントは6月11日に江華島とソウルで開かれた。まず外奎章閣の史庫があった江華郡からスタートした。同日の午前、江華道の住民ら500余人によって江華山城の南門から外奎章閣の跡地まで続く「移封」行列が再現された。1783年に奎章閣図書を江華島の外奎章閣に移す過程が記録された『内閣日暦』(奎章閣の勤務日誌)に基づいて再現したのである。儀軌の里帰りを祖先に報告する告由祭と祝賀コンサートも開かれた。午後になると、ソウル光化門広場と慶福宮でもイベントが繰り広げられた。
文化部と国立中央博物館は、専門家からなる研究チームを立ち上げ、来年12月には、学術シンポジウムも開催する予定だ。さらに儀軌297冊のデジタルDBを構築すると同時に、唯一本30冊は今年中にネットで配信する予定だ。(翻訳:趙祥恩)
iPhoneからの投稿
Author/Position:イ・ギョンヒ(李京姫、中央日報記者)
外奎章閣は朝鮮時代、正祖6年の1782年に江華島に設けられた、奎章閣(朝鮮王室の図書館-昌徳宮の敷地内に設立)の別館である。ここには王室や国の重要な行事を記録した儀軌をはじめ、千種類余にわたる、5千冊が保管されていた。しかし1866年にフランス軍が江華島を襲った際に、 297冊の儀軌を含む、340余冊が持ち去られ、残りは焼かれてしまった。『外奎章閣儀軌』の存在が知られたのはBNFの司書をしていたパク・ビョンソン(朴炳善)博士が1975年にリストを整理して公開したことがきっかけになった。パク博士は世界最古の金属活字本である高麗時代の書籍「直指」がBNFに収蔵されている事実も明らかにした書誌学者である。
【返還への道程】
奎章閣の図書を管理しているソウル大学校が1991年から『外奎章閣図書』の返還に取り組み始めた。韓国政府は1992年、フランス政府に対して図書の返還を要請した。1993年に韓国•フランス間の首脳会談が開かれた。当時、フランス政府は韓国に高速鉄道のテゼベ(TGV)を販売しなければならない課題を抱えていた。当時のミッテラン大統領は『外奎章閣図書』の中の一冊である『徽慶園園所都監儀軌』を返し、残りの『外奎章閣図書』の返還も約束した。しかし、BNFの司書たちの反対などに合い返還は行われず、政府間の交渉も難航した。『外奎章閣図書』をめぐる交渉は中止と再開の繰り返しだった。
ところが、 2010年にソウルで開かれたG20首脳会談で、両国の大統領は5年毎に更新する条件で、図書を永久に貸し出すことに合意した。韓国政府は「実質的な返還」だという、不満の世論をなだめた。フランスの法律上、正式な「返還」にはフランス法の改正が必要であるとの理由を掲げた。それからBNFと国立中央図書館の間で実務協約が結ばれた。その措置によって、図書は4月14日から5月27日までの期間に、4回にわたって韓国に里帰りした。
【『朝鮮王室儀軌』とは】
外奎章閣図書のほとんどは『朝鮮王朝儀軌』であり、 600年を超える朝鮮時代に行われた国や王室における重要行事を文章や絵で詳細に記録した筆写本である。儀軌とは「儀式」と「規範」の合成語であり、つまり「儀式の模範になる本」である。国や王室の行事の様子を詳しく記録して、後代の人々が参照する際、試行錯誤することがないように作成された白書であるわけだ。『朝鮮王朝儀軌』は2007年にユネスコの世界記録遺産に登録された。同じく世界記録遺産である『朝鮮王朝実録』とともに韓国記録文化の華といえる。実録は朝鮮王朝における主要事件を編年体(歴史的事実を事件が発生した順序通りに記述する方式)で記した資料である。それに比べて儀軌には絵が含まれているため、より立体的である。
儀軌は王子の誕生から作成されている。王子の胎を保管する場所を決め、胎室を設けて保管する過程を記録した。王世子(皇太子)になったり、王世孫(王の孫のうち将来王位を継ぐことになっている者)として決められる過程も同じであった。また、王室で婚礼があれば、『嘉礼都監儀軌』が作成された。婚礼当日の様子を記録するだけではなく、王妃を決める手続きから結納に納められる各種の品物、新郎が新婦を迎える過程までを詳細に記述した。国王や王妃が亡くなった場合は『国葬都監儀軌』が、王世子や世子の妃が亡くなった場合は『礼葬都監儀軌』が作成された。王や王妃の王陵づくりの工事を記録した『山陵都監儀軌』、3年間喪に服した後、国王の神位を宗廟に移す過程を記録した『示付廟都監儀軌』などもある。さらに、宮殿や城郭の整備、宴会、実録の編纂過程、王の肖像画である御真の製作過程なども儀軌として記録された。
儀軌は緻密で周到な記録書であった。行事に動員された人々のリスト、身の上の資料、品物のサイズや材料、一銭まで詳細に記述されている。例えば、水原華城を築造した後に作成した『華城城役儀軌』には、工事で働いた1800人にのぼる技術者の名前までもが記載されている。さらに、その名前の下には半日勤務だったとかの勤務内容が詳しく記されていて、それに合わせて支払われた給料も記載されている。朝鮮王朝は儀軌を通じて王室の行事で執行されたすべての内訳の情報を公開することで、国の財政の無駄遣いや流用の危険性を防いでいたのだ。
図画署(朝鮮時代に絵を描く仕事を担当していた官庁)に属した当代最高の画家らによって儀軌の挿絵が描かれ、絵も当代最高のレベルである。今日でも生き生きと蘇ってくる儀軌を参考に、朝鮮時代の行事を再現したり事物を原型に近づけて復元できるほどである。例えば、朝鮮戦争の際に破壊された水原華城の城郭を1975年に復元した時も、儀軌が主要な資料として活用された。復元された水原華城がユネスコの世界遺産に登録されたのも、儀軌に負うところが大きい。
【学術的価値】
朝鮮時代の王室儀軌は一度に複数を製本して、一冊は王に進上し、残りは礼曹など、国の典礼を取り仕切る機関や江華島、太白山、江原道の五台山などに位置した史庫に保管した。『外奎章閣図書』のほとんどは王が直接目を通されるため、最高級に製作された御覧用の儀軌である上、国内に存在しない唯一本が30冊も含まれており、その価値はさらに高い。御覧用の儀軌は高級紙の草注紙に最高級の絵の具を使ってシルクの装丁に真鍮製で綴じこんだ。一方、分上用、つまり数か所に分けて保管する儀軌は楮の紙を使って、麻の表紙に普通の鉄で綴じこんだ。『外奎章閣図書』はソウル大学奎章閣と韓国学中央研究院が収蔵している3800冊余りの儀軌と比べても、完成度が高いと知られる。
『外奎章閣儀軌』297冊の半分ぐらいは王室の葬儀に関するものである。残りの半分は嘉礼(王室の婚礼)、各種の宴会、世子の決定、宮殿や城郭整備などの内容が記録されている。5回にわたって『外奎章閣儀軌』の現地調査に参加した建国大学校のシン・ビョンジュ(申炳周、史学科)教授は、「外奎章閣図書の班次図(王室の行事を描いた絵)は人物の髭にいたるまで細かく描かれているほど完璧だ」と説明した。唯一本である30冊を除いた儀軌はすべて国内にもある。しかし儀軌は手書きであるため、表紙の装丁から表記の方式まで、少々違いがある。国内の班次図は時に省略された絵もあるが、王に進上された『外奎章閣図書』は、完璧な状態に近いというのがシン教授の説明である 唯一本30冊は2005年に、韓国政府とフランスが協力してデジタル化して共有していた。儀軌が帰ってくるがどうか分からない状態であったため、デジタル化してでも研究を行うために進めた作業であった。今回の里帰りで、紙の質・表紙・絵の具などについて、深く研究することができるようになった。シン教授は「写真と原本の感じは当然ながら違う。さらに、儀軌は紙の材料や質、表記方式、絵の具など総合的に調べなければならない」と述べた。韓国の歴史学と書誌学はもちろん、服飾史・美術史の研究にも欠かせない資料になるわけだ。
ところが、7種12冊を除いて、表紙はすべて改装された。フランスに移送される過程で水に濡れたり、焼かれてしまったものをフランスで手入れしたものと見られる。原型を保っている7種12冊が原資料としてもっと価値があるという。
【歓迎イベント】
1993年にミッテラン大統領によって返された1冊を除いた296冊は、航空便で4回にわたって帰ってきた。アシアナ航空と大韓航空が熾烈な競争を繰り広げた末、一回ずつ交互に輸送することになった。里帰りした儀軌はすべてソウルの竜山にある国立中央博物館の収蔵庫に直行した。
歓迎イベントは6月11日に江華島とソウルで開かれた。まず外奎章閣の史庫があった江華郡からスタートした。同日の午前、江華道の住民ら500余人によって江華山城の南門から外奎章閣の跡地まで続く「移封」行列が再現された。1783年に奎章閣図書を江華島の外奎章閣に移す過程が記録された『内閣日暦』(奎章閣の勤務日誌)に基づいて再現したのである。儀軌の里帰りを祖先に報告する告由祭と祝賀コンサートも開かれた。午後になると、ソウル光化門広場と慶福宮でもイベントが繰り広げられた。
文化部と国立中央博物館は、専門家からなる研究チームを立ち上げ、来年12月には、学術シンポジウムも開催する予定だ。さらに儀軌297冊のデジタルDBを構築すると同時に、唯一本30冊は今年中にネットで配信する予定だ。(翻訳:趙祥恩)
iPhoneからの投稿





