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【嵯峨天皇と空海】
嵯峨天皇と弘法大師とは、いつも書の巧拙を競っておいでであった。ある日、天皇が御手本を多数取り出させて、大師にお見せになっていた時のことである。その中に格別優れた一巻があるのをご覧になりながら仰った。

 「これは唐人の手になるものである。名は知らないが、どのように真似て見てもこのように書けるものではない。賛嘆する他はない宝である」

 如何に貴重で大切にしているかを天皇が十分にお話になった後に大師が口を開いた。
 「実はこれは私が書いたものなのです」
 天皇は全然信じようとされない。
 「どうしてそんなことがあるものか。近頃あなたがお書きになっているものと全く違う書風ではないか。梯子を立ててもこの書に及ぶものではあるまい」
 「ご不審は尤もなことでございます。軸を紙から外して、下に隠れている処をご覧下さい」
 天皇が大師の言う通りにすると、其処には次のように記されていた。

 某年某月 青龍寺にて書す 沙門空海

 天皇もこれをご覧になって空海の書であることを認められた。
 「まことにあなたは私に勝っておいでだ。それにしても、近頃の書と全然違っているのは如何なる訳なのか」
 「その時にいる国によって書き換えているのです。唐は大国なのでそれに合わせてこのように強い筆勢を用いております。日本は小国なので弱い筆勢で書いている訳です」
 この言葉を聞いた天皇は大いに恥じ入って、二度と大師と争うことはしなくなった。
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 古今著聞集の記事である。三筆と云えば、嵯峨天皇・空海・橘逸勢であるが、その内の二人の書道を巡る話になっている。どうやら嵯峨天皇完敗の様子であるが、実際に空海は、唐でも五筆和尚の一人に数えられ、我が国では別格の存在であった。勿論真言密教の開祖であり、綜芸種智院を開いて庶民に広く学問の場を提供し、日本各地に名水や温泉を開いた伝説を遺している。万能の天才であり、ちょっと近付き難い印象さえある。

 嵯峨天皇の記事は以前にも取り上げたが、この人も一流の文化人であると同時に、実行力に恵まれた政治家でもある。兄の平城上皇一派の挙兵に対しては、いち早く坂上田村麻呂を派遣して鎮圧した(薬子の変)。弘仁の格では死刑を廃止し、以降300年以上、我が国では死刑が行われていない。また、財政難を緩和する為に多数の皇族を臣籍に降下させ、これが源氏の始まりになった。

【竹を割ったような】
 説話の中に見える嵯峨天皇の姿は、自己主張が強いが、自分の非も素直に認めるものが多い。「竹を割ったような」と云う表現が相応しいだろうか。説話のすべてが本当ではないだろうが、そこに現れる人柄は能く実像を反映しているように思う。

 もう一つ、本来の我が国の天皇と臣下の関係は、この話に見られるような大らかなものであった筈である。明治維新以降、天皇の神格化・絶対化が行われたが、私には寧ろ伝統の破壊にさえ思われる。また、唐を大国、日本を小国とする行にも、率直はあっても卑屈は感じられない。

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