右利きの松井が左打者になったのは、兄たちと野球をしているとき、あまりにも打ちすぎるためにハンデとして左で打つように言われたことがきっかけである。

 三、四歳頃からピアノも習い始めており、小学校四年生で兄と「マイ・ウェイ」を連弾するほどの腕前で、モーツァルトを愛聴していたこともあり、「根上のモーツァルト」と称された。現在もクラシック音楽を好んで聴くが、巨人入団後はピアノを弾く機会が無くなり、今はもうピアノは弾けなくなっている

 練習試合で敬遠気味の四球を受けた際、バットを叩きつけ投手を睨み付けるという不貞腐れた態度をとった。これを見た自軍のコーチが激昂し、試合中にもかかわらず、松井を呼びつけて顔を何度も張った。この経験が後の5打席連続敬遠の際の落ち着いた対応につながったという。

 高校3年春のセンバツでは、阪神甲子園球場のラッキーゾーンが撤去されて本塁打が激減したにもかかわらず、松井は開幕試合である初戦の宮古戦で2打席連続本塁打、1試合7打点、2試合連続本塁打と、当時の大会記録をマークした。2回戦の堀越戦で「難しいカーブ」を本塁打したのを長嶋茂雄が見ていたのがきっかけで巨人入りしたという話は有名である

 この年に、全国的に有名になった松井は星稜高校のほぼ全校生徒からサインを求められ、さらに生徒が他の人物に譲るために複数枚のサインを欲した。その要望に松井は拒否することもなく全て応えていたが、それを見た教員達が心配して「松井君のサインは1人5枚まで」と生徒および学校関係者に通達したという。

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 夏の甲子園は2回戦の対明徳義塾戦で敗退。この試合で松井が受けた5打席連続敬遠は、高野連が急遽記者会見を開くなど、社会問題にまで発展した。

 明徳義塾の馬淵史郎監督は試合後、『(星稜の練習を見て)高校生の中に一人だけプロの選手が混じっていた。』とコメントしている。