しかし、これだけでは終わらなかった。レフェリーのペップは「引き分け」という判定を下したが、この時の試合のジャッジもペップ自身が一人で務めており(※当時の世界戦のルールで、判定は開催地ルールにより下すと決められており当時の豪州コミッションは、主審=レフェリー1人で判定を下すと定められていた)、しかもスコアシートを採点した結果、なんと「原田の判定負け」という結果だったのだ。当時の地元スポーツ新聞にはリング上で失神している王者の写真がデカデカと掲載されていたことから、いかに地元オーストラリアにとっても不名誉な勝利であったかが伺える。結果として、超がつく地元判定に泣いた「幻の三階級制覇」だった。翌年、ファメションは王者の意地と誇りを賭けて今度は原田の地元東京にて再戦(日本で行われた初のWBC世界タイトルマッチ)を行ったが、原田はいい所が無いまま14RでKO負けし、この試合を最後に引退した。

『ファイティング原田……ファイティング原田ジムの会長、日本プロボクシング協会の会長も務めている。』