2004年にオフ・ブロードウェイで上演されるや否や絶賛され、翌年にはブロードウェイで上演。更にトニー賞やピュリッツアー賞をも獲得したこの舞台劇は、今回原作者であるジョン・パトリック・シャンリィが脚本をたててメガホンを取った。
舞台は1964年のニューヨーク・ブロンクス。
そこのセント・ニコラス教会では子供達が通う学校も担っており、教えるのはもちろんシスターや神父たち。
厳格たる教会のトップであるフリン神父は革新派であり、閉ざされた教会という存在をもっと広げようとしていた。が、それに相対して古からの誇り高き教会という存在を守っていきたいシスター・アロイシスはフリン神父を受け入れられない。
そんな時、1つの疑惑が浮上する。
シスター・アロイシスにメリル・ストリープ。
ストイックが修道服を着て歩いているような人物であり、子供達の教育や生活面にも非常に厳しい。
それゆえに砕けた人柄であるフリン神父が許せなく、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いといった心情に陥っていく。
なので、自らが目指していると思われる「高潔」からは皮肉にも離れていく。
フリン神父にフィリップ・シーモア・ホフマン。
すみませんがどう見ても私には悪人顔にしか見えず・・(笑)
フリン神父には1つの疑惑が浮上するのですが、先入観からか「お前クロやろ~」と少なからず疑惑を持ってしまいました(;^ω^)
両極する2人の間に写っている女性がシスター・ジェイムズ。演じるのはエイミー・アダムス。
ジャケット通り中立の考え方を持っています。
ですが彼女が今回大問題となる疑惑のネタの主であり、純粋がゆえに自らも苦しむ。
学校内には黒人の男の子が1人通っていて、時代が時代だけにまだ何かと厳しく彼は孤立しているんですよね。
そんな中、優しく接してくれるのはフリン神父。
黒人少年とフリン神父が司祭館で2人っきりになった事をシスター・ジェイムズが知り、更に少年が酒臭かった事から疑惑に拍車がかかる。
フリン神父は少年を誘惑しているーーーーーーーーーー
フリン神父を元から煩わしく感じていたシスター・アロイシスはこの小さな疑問を疑惑に挿げ替え、確固たる自信の元フリン神父の少年愛疑惑は確信へと変わっていった。
映画冒頭、フリン神父の「疑惑」の説教で始まります。
タイトルも「疑惑」であるように、この映画は最初から最後まで隅から隅まで疑惑で埋め尽くされている。
何の証拠もない小さな疑惑が、およそ神からは遠く離れているであろう猜疑心を持つ事によって疑心暗鬼という恐ろしい展開を見せる。
大聖堂でフリン神父が噂話を枕の羽に例えた説教をするのですが、この寓話には唸ってしまいました。
誰でも少なからずした事があると思いますが、噂話と言うものは罪の意識が小さいですよね。
しかし日本でも昔、1人の少女の噂話が発端で銀行が倒産してしまった事もあるように、被害者側には大きな打撃ですよね。近所にこんなオバハンがいたら、えらいこっちゃですよ。
元が舞台劇と言う事もあって、この映画の山場はシスター・アロイシスとフリン神父の見事なまでの攻防戦であります。
どちらも折れない事から、果たしてシスター・アロイシスが話を膨らませただけなのか、はたまた本当にフリン神父は少年を手篭めにしてしまったのか全く分かりません。
更にラストにはシスター・アロイシスが疑惑について告白するシーンがあるのですが、これもまた抽象的でハッキリした事が分からずそのまま幕を閉じてしまいました。
見た直後はモヤモヤして白か黒かハッキリ知りたかったのですが、この作品は見る側も「疑惑」を持つ事が狙いなのだと言う事が分かり、納得しました。
伝統と守ろうとするあまり不寛容なシスター・アロイシスなのですが、自らが憎まれ役となる事で風紀の乱れを一掃しようとする考えには畏敬の念を感じさせます。
そして、教会と市民との垣根を低くしようとするフリン神父にも好感は持てるのですが、彼もまたシスター・アロイシスに対しては不寛容です。
1番簡単な方法である歩み寄りができなかった事が最大の悲劇ですね。
肉を食らい酒を飲み談笑しながらの神父達の食事シーンと、沈黙のまま口に食べ物を運ぶシスター達。
何らかの疑問を抱かせずにはいられない両極端のシーンでした。
この教会はシャンリィ監督が子供の頃に通った教会がモデルとなっており、シスター・ジェイムズにもモデルとなるシスターがいるそうな。
見ていると純粋なのか青臭いのか分からないシスター・ジェイムズでありますが、神がいるとするなら彼女のようなシスターが1番望まれているのではないかと思いました。
