ずっと前から、東京から九州へ向かうのは飛行機が一般的でしょう。
私は2回飛行機に乗りましたが、1回は修学旅行で止むを得ず。
あとの10数回は夜行列車か新幹線です。
博多まで乗り通すのはさすがの私も疲れますが、飛行機だと早く着き過ぎて実感が湧かないのです。
ブルートレインだと15時間。
普通の人には気が遠いでしょう。
でも国鉄運賃が安かった時代は、当たり前の旅でした。
私が学生だった1980年代は、まだ「当たり前」の名残が残っていました。
4レ 寝台特急 はやぶさ
ED76 1011[門]+25形客車[南シナ]
1984.9.14 博多
ファストフード店が無かった当時、外食は街中の中華料理店やグリルでした。
列車で旅をする時は食堂車だったのです。
「食堂車には旅情がある」とはよく言われますし、私も実感していますが、飛行機が一般的ではなく新幹線も高速道路も無かった時代は、夜行列車での長旅しかありません。
旅情というよりは、仕方なくというのが正直だったでしょう。
でも皆一緒に移動して、小さな喜びもシェアし合っていた時代でした。
ナシ20 24
2014.3.22 交通科学博物館
左端がオシ14?24かな。
現在この辺りは高輪ゲートウエイ駅です。
1978 田町-品川(車内から)
1975(昭和50)年3月10日国鉄ダイヤ改正で新幹線が博多まで乗り入れると、少しずつ夜行列車の退潮傾向が浮き彫りになりました。
しかしヘッドマークが消えた時代でも、東京発のブルートレインはヘッドマークを守り続け(いなば→出雲3・2号を除く)、食堂車も営業していました。
国鉄がかなりの思い入れを持っていたことがうかがえます。
そしてJRにも受け継がれました。
2018.7.31 鉄道博物館(大宮)
しかしJRになってからは対抗交通機関の台頭が著しく、新幹線の高速化も加わり夜行列車の退潮傾向は止まることを知りませんでした。
1993(平成5)年の年明け早々、衝撃のニュースが飛び込んできました。
1993年1月9日付 朝日新聞(東京本社版)
~つづく~