渋さは「はまなす」以上だった10系寝台車 オハネ12(日付ネタ) | 空の下、レールの上を人生と共に(JNR Forever)

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現存する10系寝台車の1両が、碓氷峠鉄道文化むらのオハネ12 29です。 

10系寝台車は、20系・14系・24系(25形)のような華はありませんでした。 

 

しかしその青い塗装と共に、夜の闇にそのまま溶けてしまいそうな「渋さ」があった車両でした。 「はまなす」を例えに出しましたが、その渋さは14系客車より確実に上だったと思います。 

 

理由として、一時期10系寝台車を連結していた夜行急行はブルートレインよりも多かったこともあるかも知れません。

 オハネ12 29をじっくり見ます。

 
オハネ12 29[門サキ]
 
1968年版 国鉄車両配置表(昭和43年3月31日現在)※1によると、同車は1968年には品川客車区配置、同 (昭和48年3月31日現在※2では竹下客車区配置、由緒ある経歴です。
 
晩年は長崎客貨車区に配置され、門司港-長崎・佐世保間(大村線経由)の夜行普通列車「ながさき」に連結されていました。
「鉄道ジャーナル」1984(昭和59)年2月号の列車追跡「鉄道史に埋もれゆく夜行普通列車 ながさき」では、故 種村直樹さんがオハネ12 29に乗車しています。
 
B寝台が2段化されると「カイコ棚」と揶揄される程狭い3段ハネですが、登場当時は快適だったでしょう。
 
 
中段を跳ね上げて車内の見通しをよくした、10系寝台車初期の独特の構造を保っています。
 
 
オハネ12 29の前に連結されているのは、EF58 172です。
 
※2によると、EF58 172は当時宮原機関区配置、オハネ12 29は竹下客車区配置。
EF58の次位にオハネ12が連結されることは無かったでしょうが、オハネ12 29は同機に牽引されたことがあったかも知れません。
 
 
屋外の保存故状態が非常に悪いです。
分かりにくいですが、形式表記も国鉄書体ではなく普通の丸ゴシック体です。
 
国鉄は一段下降窓の採用に慎重になり、サロ165・キロ28は「田窓」に改造した車両もありました。
普通鋼の車両で再び一段下降窓が登場するのは、1986(昭和61)年の117系増備車まで待たなければなりませんでした。
 
諸事情は理解しますが、この車両の歴史的価値を考えると形式標記も忠実に再現して欲しいと思います。
貴重な車両故、そのうち手を打つ必要があると思います。
その際は、私も微力ながら協力させていただきたいと思います。
 
2016.6.12 碓氷峠鉄道文化むら
 
※1「鉄道ピクトリアル」アーカイブスセレクション7 国鉄ダイヤ改正 「43-10の頃」1960(2005年1月刊)に収録
※2「鉄道ピクトリアル」アーカイブスセレクション8 国鉄ダイヤ改正 特急大増発時代 1970(2005年5月刊)に収録