追憶の夜行列車 801レ 急行「鳥海」上野発秋田行 | 空の下、レールの上を人生と共に(JNR Forever)

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なつかしい人が はるかな日々が 時の流れこえて ほら めぐる旅路さ…

私が最多の乗車回数を記録した夜行列車…

 

それは上野-秋田間(上越・羽越線経由)に運転されていた急行「鳥海」です。

 

 

 

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急行「鳥海」フル編成
EF58 134[高二]+オハフ・オハ…[秋アキ]+スニ40+スニ41[北オク]
1978.11.19 尾久

 

 

 

※この画像は、「わが国鉄時代 vol.1 こんな時代を生きてきた…」(株式会社ネコ・パブリッシング 2009年1月刊)に掲載されました。
株式会社ネコ・パブリッシング様のご了解を得てアップします。

 

 

 

両親の実家が山形にあった私は、度々上野からこの列車に乗りました。
当時は新幹線や高速道路などない時代。

 

 

 

上野-酒田間は特急「いなほ」でも6時間かかりました。
「いなほ」ではまるまる1日移動でつぶれることになり、朝から行動できる夜行列車の利用価値が非常に大きい時代でした。

 

 

夜行列車「鳥海」は、記憶にあるだけで16回乗りました。
しかし、私が「鳥海」に魅了されたのは、何よりも上越型のEF58でした。

 

 

 


当時の羽越本線の主役
(左) 2041M 特急「いなほ」1号 485系12連[秋アキ]
(右) 804レ 急行「鳥海」
EF58 59[高二]
1979.10.14 上野

 

 

 

 

幼児の頃よく写真で見たEF58が、「鳥海」ではつらら切りにスノープロウまで装備して、元々スマートな機関車であったEF58が更にスマートに見えました。
これだけで、私の心を魅了するに充分でした。

 

 

 

昼間の暑気が残る夏の夜、関東平野をホイッスルを響かせて走っていました。
EF16とコンビを組んだ冬の上越国境は、息をのんで暗闇の白い壁を見詰めたのを思い出します。

 

 

新津でEF58が切り離され、EF81に交替する時は、親友と別れるような寂しさを感じたものです。

 

 

 

801レ 急行「鳥海」
EF81 66[酒]+オハフ・オハ…最後尾マニ60[秋アキ]
1978.7 北余目-砂越
この日は、まだ午前6時前だというのに既に強烈な陽射しだった…

 

 

いつもは上野で3時間は並んで自由席に座ったものですが、1978(昭和53)年12月はB寝台に、1979(昭和54)年3月にはグリーン車に乗りました。
2009年3月29日付け 30年前の春休み~羽越本線 酒田界隈

 

 

 


804レ 急行「鳥海」 上野着
EF58 132[高二]+スニ41+スニ40[北オク]…
1979.2.4 上野

 

 

 

 

 

私を魅了した「鳥海」でしたが、1982(昭和57)年11月15日の上越新幹線開業でその活躍を終えました。

 

 

 

 

 

イメージ 6
「鳥海」に使用されたサボ。
1982.11.14 上野

 

 

 

 

急行「鳥海」は寝台特急「出羽」に格上げされました。
上越新幹線は大宮始発の暫定開業だったので、直通の足を確保するため上野-青森間上越・羽越線経由の昼行特急が残され、これに「鳥海」の愛称が転用されました。
2009年4月3日付け 特急「鳥海」25年前の甘美な思い出

 

 

 

 

しかし、東北・上越新幹線の上野開業で昼行特急「鳥海」」は不定期列車に格下げされ、いつかうやむやに走らなくなりました。

 

 

 

寝台特急「出羽」も、全車寝台化によって後に高速バスへの逸走を招くことになり、わずか11年の短命に終わりました。

 

 

私もその後は14系座席車の「天の川」51号や、上野-長岡間の夜行鈍行を何度か利用しました。

 

 

廃止後27年を経過しましたが、私の旅心とその後の「鉄」な人生はこの列車によって育まれました。
今も、私の心の中では走り続けています。