3月25日 10時30分石山駅に集合。今回は、のちに三歩会と名づけられるメンバーと同行する。
一人ならば、瀬田駅から草津駅をめざすところだったが、義仲寺の中を見ておきたかったことと、ヴュルツブルクでもう一度ビールを飲みたいと思ったので、草津までの行程で外せない帰帆島まで行って大津市内に戻ることにした。
11時30分には矢橋帰帆島に到着した。琵琶湖第4の島だが、1982年に完成した人工島です。
古代から港のあった場所で、「近江のや 矢橋の小竹を 矢はがずて まことありえむや 恋しきものを」巻7-1350と『万葉集』にも詠まれています。
近江八景のひとつ矢橋の帰帆で知られていますが、急がば回れのことわざの元になったことでも有名です。
京へ向かう東海道は草津宿矢倉で矢橋港へ向かう矢橋道を分岐し、本道は瀬田の唐橋へ向かいました。
矢橋港からは大津石場の港との間に航路がありました。
室町時代、駿河国で今川氏の家臣であった宗長は宗祇の弟子でかつ後継の連歌師として知られますが、「もののふのやばせの舟は早くとも急がば廻れ瀬田の長橋」の句の作者に擬されています。
意味は、武士たる者は物事を成すにあたっては確実な方法をとれ、ということでしょう。
しかし、旅人が皆安全確実な瀬田の唐橋にまわられては、矢橋の水運業者はたまりません。
「瀬田へ回れば三里の回り ごされ矢橋の舟に乗ろ」と船に乗った方が早くて楽ですよ、とアピールしています。
近江大橋を西に渡り、なぎさ公園から帰帆島を振り返りました。低く平らでわかりにくいですが、とんがった三上山の左手に見えています。
12時20分にレストランに到着。開店以来勤めているという女性の店員さんにビールを注いでもらう。なぜか有難みがあって美味。
つい話が弾んで、店を出たら14時をずいぶんとまわっていた。
義仲寺。月曜日は休みのため、拝観出来ずに口惜しい思いをした。
15時過ぎに到着。門構えから想像していたよりもずっと小体である。狭い境内に、朝日堂、翁堂などの建物と義仲、芭蕉の墓石や句碑がちまちまと並んでいる。
創建は鎌倉時代後期かと思われますが、確実なところでは、天文22年(1533)頃に、近江守護の佐々木(六角)高頼が義仲の悲運をとむらって建立したという伝えです。はじめは義仲堂または義仲庵と呼ばれたようです。
長く荒廃していたものを一個人の力で第ニ次大戦後に復興させたと聞き納得した。
翁堂の天井花卉画15枚。伊藤若冲の作品。もともとは、若冲の墓がある京都市伏見区深草の石峰寺にあったものが幕末に流出し、安政6年(1859)6月、大津栄町の魚屋通六によって寄進された、と天井裏の墨書でわかっています。拝観できるのは複製画です。
なお、京都市左京区北門前町の信行寺にはやはり、石峰寺から流出した若冲の花卉図が167図集められているそうです。
さらに法名が大袈裟過ぎです。木曽福島の徳音寺にも義仲の墓がありますが、戒名は「徳音院義山宣公」とシンプルです。
俳聖松尾芭蕉は、義仲寺に度々滞在して句会も行ったのですが、元禄7年(1694)なにわで亡くなった際に遺言して、「骸は木曾てらに送るべし」という、義仲の隣に葬られました。
「木曾殿と背中合せの寒さかな」は伊勢の又玄(ゆうげん)の句。
ほどなく義仲寺を辞して、時間短縮のため京阪石山坂本線の石場駅からびわ湖浜大津駅まで乗車。
浜大津駅から土産調達のため、まずは叶匠壽庵長等本店に向かう。ここで買うのは、あも。亡父が大好物にしていたものだが我が家で食べるのは私だけ。また血糖値が、あがる。
お店で出していただいた梅昆布茶に疲れを癒されました。
最後に、元祖阪本屋鮒寿司店。明治2年創業の鮒寿司の老舗です。ここでのお買い得は、鮒寿司の頭。1つ大300円、小100円とリーズナブルですが、此れをお茶漬けにすると最高です。滅多に出ないそうなので、ご内密に願います。
徒歩距離 電車に乗った1.52kmを除いて17.38km






