こころの遠足も通算第140回を迎えました。coopさんの講座となってからでも68回目です。1年に10回ですから、15年目に入ったわけです。
2012年5月にMARSの流行の影響で1回休んだ他は昨年の新型コロナによる緊急事態宣言発動まで休まず続いてきました。
今回、6月23日に実施した企画も、本来なら4月14日のプランがスライドしたものです。
9:50、JR大和小泉駅に集合して東口から総勢8名で出発。
大和小泉は、慈光禅院から大和郡山を訪ねた2017年9月の第108回に続いて2回目ですが、今回は法隆寺に向かって歩きます。
県道123号線を東北へ進むと富雄川へ出ます。
橋を西に渡り、駅から15分ほどで左手に片桐城趾と彫った石碑がぽつんと立っています。
左折し、右側の石段を登ると今度は小泉城趾と刻した堂々とした石碑が立つ小公園に出ます。
片桐城とも小泉城とも小泉陣屋とも呼ばれた城郭の中心があった場所です。
城を築いたのは、興福寺衆徒の小泉氏です。衆徒とは簡単に言えば武士です。
中世大和国は興福寺が他国でいう守護大名に相当する存在だったので、興福寺の荘官・名主出身の武士層を興福寺衆徒といい、筒井、古市氏などがいます。また、興福寺の支配下に入った春日神社領荘園の荘官・名主出身の武士層を国民といい、箸尾・十市氏などがそれです。
衆徒はまた、一条院傘下の筒井氏、越智氏、大乗院傘下の十市氏、古市氏などが有力な衆徒として知られますが、それぞれが常に一致団結していたわけではなく、南北朝時代には南朝方の越智氏と北朝方の筒井氏が争い、大和永享の乱と呼ばれる戦乱が10年ほど続きました。
嘉吉3年(1445)南都合戦において、小泉重弘は大乗院門跡の経覚らと成身院光宣・筒井順永ら筒井一族と戦い勝利し官務衆徒の地位を得ますが、筒井城攻撃戦で戦死してしまいました。
重弘の後は嫡子の今力丸が継ぎ、弟の重栄が後見しましたが、長禄3年(1459)筒井順永に攻められて小泉一族は小泉館で切腹してほぼ滅亡しました。『大乗院寺社雑事記』には館とありますが、城郭化していたと考えられています。
その後、羽柴秀長の家臣羽田長門が小泉4万石で入部した際に館跡を拡大し、慶長6年(1601)に片桐且元の弟片桐貞隆が15000石で入部、一時茨木城に移っていましたが、大坂夏の陣の後、元和9年(1623)16400石で再入部し、陣屋周辺の街並みを整備しました。
2代目藩主が石州流茶道の祖片桐貞昌です。
現在、堀跡の池が何ヵ所か見られますが、その一つ、薙刀池の池畔には高林庵石州流茶道宗家本部、片桐の表札がかかる模擬城が建っています。
片桐城を後にし、県道123号線から県道9号線へと左折、南西へ進み低い峠を越えたところで法起寺の三重塔が見えてきます。斑鳩の里だ。
斑鳩の里へは2007年7月3日第4回で来ています。
その日は法隆寺から巡り始めたのですが、とても暑く、法起寺は断念したことを思い出しました。
法起寺には、10時40に到着しました。
いい伝えでは、聖徳太子が法華経を講じた岡本宮を、太子の死後山背大兄王が遺言によって寺としたのが始まりとか。
池尻尼寺、岡本尼寺などの称も記録されているので、尼寺として創建されたのでしょう。
本尊の木造十一面観音立像 は収蔵庫に安置され、ガラスごしに拝むことができます。像高は3.5メートル。10世紀後半の作とされています。
舒明天皇10年(683)年に福亮僧正が金堂を造立、慶雲3年(706)年に恵施僧正が三重塔を建立したとされます。
講堂(本堂・観音堂)は 元禄7年(1694年)の再建です。
三重塔の高さは24メートルあり、三重塔としては日本最古です。薬師寺東塔を除けば、日本最大の三重塔です。
江戸時代の延宝年間(1673年- 1681)の修理で大きく改造されていましたが、昭和45年(1970)から1昭和50年にかけて解体修理された際に創建当時の形に復元され、二重と三重の高欄もその時に復元されました。
発掘調査されていて、創建時の伽藍は若草伽藍と同じく、西に20度振れていました。
また、伽藍配置は金堂と三重塔が法隆寺とは左右逆になっており、法起寺式伽藍配置と呼ばれています。
11時30分に法輪寺に到着。創建の事情は不明ですが、7世紀末に遡ると考えられています。
三重塔再建における幸田文氏の献身について語ってしまいました。
それにしても、再建だからといって世界遺産から外すというのは納得できませんね。斑鳩の里の点景として考えるならば、法輪寺は欠かせないピースです。
12時30分に予定通り昼食場所の北小路(きたこみち)に到着。和風のランチ、650円也はリーズナブル。1テーブル2名でソーシャルディスタンスを確保しました。
13時30分に法隆寺に到着。
もはや説明の要もないほどです。
見逃せない3点の内、玉虫厨子と夢違観音は出張中。百済観音だけ実物を拝めました。
金堂内陣を拝観させて頂いていた時に、壁画が昭和24年(1949)に焼損したことを説明していると、他のグループのかなり高齢に見受けられる男性から、えー焼けたのですか始めて知りました。と驚がれたのには、こちらがびっくりしました。
入場券では、東院伽藍の夢殿も拝観できたのですが、みなさんお疲れのようで時間も迫ってきたので、バスでJR法隆寺駅へ向かい、16時過ぎに解散しました。













