6.近江舞子から堅田
2月13日土曜日 9時47分に近江舞子駅を出発。ものの5分も歩くと近江舞子中浜水泳場だ。右手に内湖を見る。4kmにわたって松並木が続く、琵琶湖随一と言って良いビーチ。岬を雄松崎という。
琵琶湖周航の歌の2番にも歌われる景勝地。 松は緑に 砂白き 雄松が里の 乙女子は 赤い椿の 森蔭に はかない恋に 泣くとかや
毎年3月26日に行われる比良八講の法会は、2002年から雄松岬で行われています。
法会の行われる3月下旬は、比良山から吹き下ろすいわゆる比良八荒がもっも激しいとき。
若い修行僧に恋した娘が、対岸から毎晩、修行の終えるまで100日通ってきたならば夫婦になろうという僧の言葉を信じて、灯火を目指してたらい舟を漕いだ。100日目、いよいよ願いが叶うというその夜、頼りの灯火が消えてしまい、娘は暗い湖に沈んでしまった。
なぜ灯火が消えたか。比良八荒の風という説と修行僧が娘の執念に怖れをなして吹き消したという説あり。
琵琶湖周航の歌はこの話を下敷きにしています。
ひと気のないビーチをどんどん歩く。
北比良水泳場、京都銀行比良浜荘など企業の保養所を見かける。テニスコートを2面備えた立派な施設だ。
山側に比良駅越しに比良山系の山々が迫っている。比良山には何回か登ったことがある。あるときは下山道を間違え、朽木へ降りてしまい途方に暮れたことも。
集落の中も人通りはなく、ひっそりとしています。
まだ10時過ぎだ。
南比良の湖岸で朽ちかけた杭が沖に向けて打ち込まれているのを見かけた。
橋板との説明板を見た。上水道の設備がないころ、主婦が炊事や洗濯など生活用水として湖水を利用するときに用いたもので、近年保存、復活運動が行われているとある。
この杭はその残骸なのだろうか。復元された橋板に比べて規模が大きい気がする。
11時30分 八屋戸浜では、網代木を見かけた。漁法のひとつで、竹や木で編んだ網代を立て掛けて魚をとる設備で、宇治川のものが和歌に詠まれて知られています。
百人一首に権中納言藤原貞頼 朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の 網代木
対岸に鈴鹿山系の山々が望むことができる。最も高いのが藤原岳、左に竜ケ岳、御池岳、霊仙山、右手に鎌ヶ岳の峰々。更に左には伊吹山まで見える。
11時50分 和邇(わに)北浜では水鳥を多く見た。川鴎も乱舞している。
和邇南浜を過ぎる頃には、たれこめていた雲が上がって比良山系の全容が姿を現した。
和邇といってもアリゲーターやクロコダイルではない。古代氏族わに氏に由来する。天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひこのみこと)の後裔といい、丸・和珥などとも書きます。
なじみはあまりないですが、多くの天皇の后をだし、5世紀から6世紀中頃まで大きな勢力を誇った大和の大豪族です。本拠地は現在の奈良県天理市和爾町周辺でしたが、勢力は奈良盆地北部におよび、後に春日の地(奈良市春日野町)に遷り、春日氏と改姓しました。
和邇の地名は、湖西にも和邇氏の勢力が及んでいたことを示します。
和邇川をのぼると、小野神社があります。
『延喜式』神名帳記載のいわゆる式内社です。
平安時代にできた『新撰姓氏録』には小野氏発祥の地をこの地としますが、やはり大和からの移住でしょう。
小野氏は付近に居住した、粟田氏や真野氏とともに天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひこのみこと)を祖とする、和邇氏の同族です。春日小野臣などという氏姓もあります。
小野神社を含めて付近には、小野妹子神社、小野篁神社、小野道風神社など小野氏を代表するような人物を祀た小野神社群があります。
それぞれ興味深い経歴を持っていますが、ここでは、遣隋使として知られる妹子をとりあげます。妹子はもちろん男性です。たまに女性だと思っている人がいるので、念のため。
小野氏からは多くの外交に関わった人物が輩出していますが、その第1号が妹子です。
教科書では、推古15年(607)第1回の遣隋使として派遣され、対等外交を行なったと説明されます。実は、翌年第2回の遣隋使として渡海しています。
ところが、隋の歴史書である『隋書』には、日本の史料には見えていない、600年の遣隋使を記しています。
『隋書』には、「王は天を兄とし、日を弟とす」日本の君主を「姓は阿毎、字は多利思比狐」などと述べたので、隋の高祖は「はなはだ義理なし」と言ったとある。
これは言葉がうまく通じなかったことを意味し、阿毎多利思比狐はアメタリシヒコで、使者が自分の始祖、天足彦国押人命を述べたのを誤ったと考えられる。
そこから、このときの遣隋使も小野妹子であったと考えることもできるかも知れません。
琵琶湖周辺地域からは小野氏に限らず、古代の外交に携わった人物が多く出ている。
最後の遣隋使で最初の遣唐使となった犬上御田鍬は彦根付近、第2回遣唐使の吉士長丹は近江八幡付近、第4回遣唐節度使で唐でその学識と儀容を高く評価された粟田朝臣真人は小野氏と同祖、など。
彼らが起用されたのは、琵琶湖で船の運行に長けていたことがあるかもしれない。ぢ、志賀漢人(あやひと)など、多くの渡来系氏族を配下に持っていたことが大きいと考えたい。
ちょいと寄り道をしてしまった。またも昼食が遅くなり、ありつけたのは3時過ぎ。堅田駅近くの蕎麦屋、幸湖路。小さな店でパートの従業員さんは帰り支度。定食出来ますか、と尋ねるとおやじが黙って頷く。蕎麦屋にありがちな頑固親父かととりあえずビールを注文する。
そそくさと食事を終えて、御愛想の段になって、ところでこの近所に酒屋さんはありますか、パートさんに聞くと、お酒ならアル・プラザかな、とやや頼りない。親父に相談しに行った。
すると調理場から親父自ら出てきなすって、堅田の酒なら、と造り酒屋の説明を始める。
一方でパートさんはスマホを取り出して検索を始める。無愛想な表面と違って親切なのだ。
20分ほどで行ける、中学校の横から行くと早い、よく聞いてみると、浪乃音酒藏のことだ。
あそこの息子はサッカー留学でスペインのレアル・マドリードに行ったとか、わざわざ新聞の切り抜きを探して見せてくれる。
電話してあげようというのを丁重に辞退して店を出た。
さてと、今日は土曜日。蔵元は休みの可能性がある。とりあえず駅前のアル・プラザへ行ってみる。入るとすぐにお酒売り場が見つかった。ありました。浪乃音酒造の製品が。
銘柄は、初鴨。稲畑汀子(俳人高浜虚子の孫娘)の句
初鴨や 堅田に名酒 ある限り
から名づけられた酒。
駅も近い。思いきって一升瓶を購入。
地図で計測すると、本日39.9km。













