シルクロード学の片鱗でも良いから、生きているうちに心に留めたいと思っています。
読み物レベル。
それで良いのですが。
まだまだ、三蔵法師様の足跡の「足」の字にすら、目を通せていません。
でも、それで感得出来ることは有るのですよね。
許す、という事。
世界を許す、それは己を許す事。
僕は、非常に堅い仕事をしながら、ユニフォームの一枚真下、広範囲に刺青を背負っています。
何故、そうしたのかと言えば、情熱を固定したかったからだと思うのですよね。
たぶん、供養でもある。
もはや、浄化・昇華された思い出ですが、兄の縊死体を角膜に刻み付けた事が、その後の僕の心の有り様を独特にしてしまったのだとは思います。
繊細な、しかも生硬な。
そうした趣を持つようになったのだと思いますね。
アメブロ様を眺めていても、僕のような観念的で読みにくい文体にはなかなか出会いません。
そういう心を持ち合わせているので、自分で何を考えているのかも時に分からない。
そんな心の働きから、突き始めた針です。
実際には、何を覚悟して彫った文身なのか。
藪知れず。
だが、供養、と何故か、口をつく。
さておき。
アルコールの問題に蝕まれた末、アルコールを棄てる生き方を選んだ僕ですが、今では断酒こそ無理のない、生きやすい、賢い生き方なのでは、と視点が変化してきた。
進歩と言えますよね。
年を取ることは進化だと思います。
経験則を遥かに上書きする、目新しい健やかな体験。
それを重ねられることは、なんと清新なんだろうか。
柔軟に考えれば、加齢こそが若返るすべなのです。
それを人生と呼ぶのかも知れませんね。
明日は、お付き合いできそうな方と雪の中、会ってきます。
嬉しく、有難いことです。
人生に感謝をしている。
僕は、おそらく変わった人間でしょうね。
それは、強みかもしれません。
アルコールの無い生き方については。