刺青、断酒、絹の道。 | 題名のない断酒日記。(――彗星夢死――2015、初夏。)

題名のない断酒日記。(――彗星夢死――2015、初夏。)

2015、初夏。
断酒に関する、言葉とも言えないような言葉をスクラップしています。

シルクロード学の片鱗でも良いから、生きているうちに心に留めたいと思っています。

読み物レベル。

それで良いのですが。

まだまだ、三蔵法師様の足跡の「足」の字にすら、目を通せていません。

でも、それで感得出来ることは有るのですよね。

許す、という事。
世界を許す、それは己を許す事。

僕は、非常に堅い仕事をしながら、ユニフォームの一枚真下、広範囲に刺青を背負っています。
何故、そうしたのかと言えば、情熱を固定したかったからだと思うのですよね。

たぶん、供養でもある。

もはや、浄化・昇華された思い出ですが、兄の縊死体を角膜に刻み付けた事が、その後の僕の心の有り様を独特にしてしまったのだとは思います。
繊細な、しかも生硬な。
そうした趣を持つようになったのだと思いますね。
アメブロ様を眺めていても、僕のような観念的で読みにくい文体にはなかなか出会いません。

そういう心を持ち合わせているので、自分で何を考えているのかも時に分からない。

そんな心の働きから、突き始めた針です。

実際には、何を覚悟して彫った文身なのか。

藪知れず。
だが、供養、と何故か、口をつく。

さておき。

アルコールの問題に蝕まれた末、アルコールを棄てる生き方を選んだ僕ですが、今では断酒こそ無理のない、生きやすい、賢い生き方なのでは、と視点が変化してきた。
進歩と言えますよね。

年を取ることは進化だと思います。

経験則を遥かに上書きする、目新しい健やかな体験。

それを重ねられることは、なんと清新なんだろうか。

柔軟に考えれば、加齢こそが若返るすべなのです。

それを人生と呼ぶのかも知れませんね。

明日は、お付き合いできそうな方と雪の中、会ってきます。

嬉しく、有難いことです。

人生に感謝をしている。

僕は、おそらく変わった人間でしょうね。

それは、強みかもしれません。

アルコールの無い生き方については。