私が所属していた職域山岳会は1970年 代に遭難事故で死者を出している。残雪期の前穂高岳のバリエーションルートで滑落事故を起こした。私が入社前のことなので、先輩から話を聴いたり、報告書を読んで知った。当時は結構ハードな山行をやっていたようで、大雨による沢の増水で下山が遅れて全員が休暇を事後的に延長したこともあったと聴いた。
私は本店に転勤になって山岳部のリーダーを押し付けられた。若手部員には大学山岳部やワンゲル部出身者が何人かいて、ハードな登山を歓迎する雰囲気があった。無難な山行を実施するのと並行して、岩登りの練習や富士山での冬山訓練もやった。秋に谷川岳の岩登りルートを登る計画を立てて、群馬県の東京事務所に登山計画書を提出した。季節外れの寒波が来て、谷川岳山頂付近の一般ルートで複数の遭難死者が出た。断腸の思いで計画を撤回した。
その後も先鋭化路線を続けたが、部員が集まらなくなって断念した。死者を出さずに済んだので、それで良かったと思っている。