太平洋戦争中に我が国は英語を「敵性語」として排斥した。野球の用語を無理に日本語に置き換えたりした。
一方、アメリカは逆のことを考えた。日本と戦争をする以上、日本兵を捕虜にする。捕虜から聞き出すために、日本語は必要だ。
日本語研修所を作って、優秀な兵士を送り込んだ。研修所内では講義や日常会話のみならず、新聞や雑誌、ラジオ放送も日本語に統一されていた。英語を使うことは許されなかった。
徹底的な缶詰め教育を行って、日本語をマスターした兵士を前線に送り出した。
この経験は、アメリカの戦後の語学教育の一つのモデルになった。
日本はそういう貴重な経験をしていない。その結果、迂遠な語学教育を続けてきて、現在に至っている。