はじめまして。私は沖縄県宮古島で、キリスト教会の牧師をしている瑞慶山 道弘(ずけやま みちひろ)と申します。

このブログは、「沖縄に見るユダヤ文化」を色々と紹介するために、始めました。できるだけ多くの方々に、興味を持ってほしいし、意見や感想を分かち合っていきたいと願っています。また、沖縄の伝統的な祭りや神事に参加した経験などがあれば教えていただきたいと願っています。よろしくお願いします。


ユダヤ教のラビ(教師)が沖縄を調査!


沖縄と古代イスラエルが似ている点は、動物犠牲の風習があるところだ」。ユダヤ教のラビ(教師)、エリヤフ・アビハイル氏(イスラエルの失われた10支族を調査する「アミシャーブ」の代表ラビ)は、こう主張する。彼は、失われたイスラエルの同胞を探し出すために、しばしば来日しているが、その時、沖縄にまで足を運んでいる。

沖縄で開かれたセミナーの中でも、沖縄に見られるユダヤ性、沖縄の風習とイスラエルとの類似性を語って下さった。彼らは、日本には、イスラエルの失われた10支族が来ていたと思われる根拠を幾つも発見することができる。それも特に神道的な文化の中に、顕著に見られると言うのである。ただ神仏習合などで、仏教的な要素が入り込んでしまった領域では、それがぼやけて分かりにくくなっている。ところが、沖縄には仏教がそれほど浸透しておらず、昔ながらの神事、儀礼が残っており、その中に多くのユダヤ性を発見するのである。

ラビ(教師)、エリヤフ・アビハイル氏は、特に動物犠牲の風習が似ていると言われた。その動物犠牲の風習は、沖縄の各地で見ることができるが、なぜこのようなことをするのかと問いかけても、「古くからの習わしだから」「代々このようにしてきたから」というのが殆どの答えで、「なぜ、いつ、どのようにして」このような風習がなされたのかは、明確には分からない。

ところが不思議なことに、ユダヤ教のラビ(教師)が主張する程に、沖縄には古代イスラエルの風習との類似点、共通点が多く見られ、それは「単なる偶然」では、説明できない程の一致なのである。そのような比較探求は、沖縄の風習を深く掘り下げ、それを根本的に理解していく手がかりになると思われる。そこから「なぜ、いつ、どのようにして」という問いかけの答えが、明らかになっていくと、強く感じているのである。

このブログを始めた第一の目的は、沖縄の風習のルーツについて、より多くの方々に分かち合いたいと思ったからである。このブログで紹介するのは、私の個人的な発見や考察であるが、調べれば調べるほど、次々と新しい発見があり、驚きと感動の連続だったのである。感動は誰かに分かち合いものである。ただ私は沖縄の風習に関して、専門家でもないので、色々と気づかない点や、見落としている所があると思う。またこれを読んで下さっている方々の中からも、新しい発見やご意見などを、頂くことができれば、幸いである。読者の皆さんと共に、沖縄の風習のルーツを、深く探っていきたいと願っているのである。

なお、このブログにおける聖書の引用は、原則的に新共同訳聖書からの引用である。その他の聖書の場合は、その引用の最後に(口語訳)(新改訳)などの説明を付けた。

またユダヤとイスラエルという言葉は、殆ど同じような意味で使われるが、厳密にはユダヤという言葉は、紀元前931年に、イスラエルが南北に分裂した後の南ユダ王国(ユダ族中心)のことである。それで、このブログでは、南ユダ王国を示す場合はユダヤを、ユダヤという言葉がなかった古代のことや、また全イスラエルを示す場合はイスラエルを用いている。

                                 瑞慶山 道弘



看過(カンカー)、シマクサラシと過越しの祭り

まずユダヤ教のラビ(教師)が、良く似ていると指摘する動物犠牲の風習から見ていこうと思う。

沖縄には看過(カンカー)とか、シマクサラシなどと呼ばれる厄除け・厄払いのための風習がある。それは家畜の血を家の鴨居や柱に塗ったり、血に浸した木の枝を軒(のき)にさし、あるいは家畜の骨を村や集落の出入り口の上空に吊るして、厄払いを祈るのである。また集落の入り口や四隅などにも、同様のことをする(「沖縄の年中行事」崎原恒新著)。

集落の出入り口に、家畜の骨を吊るすときには、左縄(ヒジャイナー)を用いる。左縄とは、普通の縄は右綯り(ミギナリ)だが、逆の左綯りに綯った縄である。その左縄の中央に骨を縛り、縄の両端は、道端の木や電柱などに縛り付ける。これは簡易鳥居を設置し、集落の境界線を示し、この中に厄(災い)が、入らないようにという意味だと思われる。そして、ほふった家畜の肉は、後で村人全員で食するのである。

これはイスラエルの「過越しの祭り」と良く似ている。この「過越しの祭り」の由来は、何と今から3,000年以上も前にさかのぼる。エジプトで奴隷だったイスラエル民族が、神によって選びだされた指導者、モーセによって、エジプトから脱出した出来事、つまり「出エジプト」を記念し、奴隷から解放して下さった神を喜び、礼拝する祭りである。

神は、イスラエル民族を解放しようとしないエジプトに対して、災いを下すことを決意するが、同時にイスラエル民族がその災いに巻き込まれないように、一つの指示を出した。それは子羊をほふり、その血を家の鴨居と門に塗ることである。聖書には、以下ように記されている。

「『さあ、家族ごとに羊を取り、過越しの犠牲をほふりなさい。そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。』」(出エジプト12:21-22)

イスラエル人たちは、その指示の通り、実行した。各家で子羊をほふり、ヒソプという植物の枝葉に血を浸して、柱や鴨居に塗った。その夜、窓も入り口もかたく閉ざした家で、イスラエル人たちは、ほふった子羊の肉を食した。また苦菜を添えて、「種なしパン」を食べた。その血の塗ってある家庭は、災いがそこを過越した(すぎこした)のである。それ以来、毎年、イスラエル人は、この出来事を記念して、「過越しの祭り」を行なっている。


みっちょんのブログ  ←宮古の池間島。集落の入口にはった左縄。

みっちょんのブログ  ←左縄の中心には、家畜の骨が縛られている。

みっちょんのブログ  ←イスラエルの過越しの祭り。


「看過」(カンカー)も見過ごすという意味で「過越し」と同じ意味である。厄除け・厄払いのためという理由も同じであり、儀式における行動様式も非常に似通っている。ほふる家畜としては、古くは牛を使っていた。これは羊がいなかったからかもしれない。また、牛も高価で手に入りにくいので、最近は、豚を使用して行なう集落が多くなった。

看過やシマクサラシの風習は、古代には沖縄各地にあった。また第39回柳田賞を受賞した小島瓔禮氏の『太陽と稲の神殿』(白水社)によると、この看過は、古代の大和朝廷で行なわれていた儀礼の名残であるという。かつては、本土でも同様の風習があったようである。沖縄でも、その風習が簡略化されたり、廃れてしまったり、時代と共に、変化していることは確かである。