赤すぎる教師たち
同志社国際の辺野古沖での死亡事故。
平和教育と称して、ヘリ基地反対同盟の座り込みをさせていたり、建設工事への抗議船に生徒を乗せていたり。
ほんと、びっくりするような勝手な思想教育が実施されていた事に、全国民は驚いた。
週刊誌報道によると、辺野古の平和教育に誘導していた教師は、退職して自殺されたということらしいけどね。
もともと、GHQが戦前からの日本の教育を止めさせて、二度と日本が米国に報復攻撃を仕掛けてこないように、強力な洗脳教育を日本人に強いようとしていた。
それに都合が良かったのが、そのころ、流行りだした、社会主義、共産主義は素晴らしいとしたコミンテルン的な思想教育やったのやね。
後に、日本が社会主義国になられてはソ連や中国のようになってしまうと、1943年ぐらいまでには逆に反対したけど、一端、普及しだした左翼的な思想は、ある程度、日本にも大きく影響していたのやね。
これが反米運動になり、日本では学生運動になり、大いに世の中が荒れた。
当時は、左翼に非ずはインテリに非ずの時代で、何か権力のようなものに立ち向かう事が正義で、格好が良い。
そんな学生さんたちは、ゲバ棒を振り、タテカンを建て、大学を封鎖して、自分たちの要求を通させる暴力革命に発展していったのやね。
そんな時代の学生さらも、ほとんど授業も出ず大学はそれでも卒業させてくれた。
でも、学生運動なんてやっていた人を、大企業は一番に面接で外され、働き口が、先生や公務員しかなかった。
ノンポリ(ノンポリティカル)政治的な思想に毒されてない人だけが、企業は受け入れていた。
だから、学校の先生たちは、左巻きの人ばかりで、その人たちは必ずと言ってよいほど、日教組に入り、自分の職場でもストライキをしていたのやね。
まぁ、当時はどこの企業でも労働運動は盛んで、春の賃上げ時期には、赤い鉢巻を巻いた人ばかりになり、会社も電車もストライキで止まっていたけれどね。
その流れが未だに、学校の中では残っていて、今は日教組への加入率も落ちているとはいえ、赤い教師は多いのやね。
そんな先生に教えられた生徒は、少なからず影響を受けてしまうのは、仕方ないけどね。
でも、学校の場は、政治的な思想教育はあまり持ち込んでほしくないのやね。
ノンポリで授業は進めて欲しいし、子どもたちに自分の信じる歴史観とか、思想めいたことを刷り込めないような仕組みは出来て欲しいのやけどね。