ぼくはきれいな女せいになりたい
先週、地元紙の京都新聞に、こんな見出しの記事が載っていた。
小学校4年生の男の子が、書いた作文みたいなんやけど、この作文、少し前のことで、その先生は、公表を差し控えていたそうなんやね。
昔は、LGBTQへの理解が全くない時代にこんなことを皆に知らせると、その子が虐められてしまうだろう。
そんな、配慮が有ったからなのやろうけどね。
多様性の時代となって、特別な法律まで出来て、個人の性的な性向は、もっと自由であるべきとされている。
けど、私は、ちょっと行き過ぎやないかって、思う事もあるのやね。
今の世の中、ご自身の性的な志向性を隠して、社会生活を暮らしている人も多い。
ただ、だからと言って、画一的に、こうでなければならないという法律まで作って規制するのは、行き過ぎやと思うのやね。
学者さんによると、人口の1割ほどは、異性と自分の性との不一致の違和感を感じる人がいるというけどね。
けど、実生活まで、性の自由を確立したいと考える人は、まだまだ、少数やと思うのやね。
人それぞれの感じ方、考え方があって、それらは、尊重される方が良いに決まっている。
そこは分かるのやけど、それを権利までにしてしまうと、公共の福祉が阻害される恐れもある。
トイレや風呂の問題、少子化の問題、いろいろ、それらを乗り越えて、皆の今が有る。
この基本は、変えるべきではないものも多いのやね。