復興の精神論
能登半島の地震から40日ほど。
全ての石川県内の小中学校が再開するなど、明るさも出て来ている。
ただ、未だに、比較的大きな余震が続いていて、水や道路などのインフラの復旧はまだまだというところや。
今度の能登の震災で、これから議論になりそうなのが、復興のやり方やと思うのやね。
東北の東日本大震災の時にも、議論になったのやけれど、もともと過疎だったところに、巨大な防波堤の壁が、本当に必要やったのかどうか。
人のほとんど住まない所に、これまで通りの町を復元することが、本当に必要なのかどうか。その是非の問題なのやね。
岩手などでも、もともと、土地の低い場所だったので、これを機に、少し高台に住居を移転させた人もいた。
実は、震災は、そんな人たちの背中を押す契機にもなるものなんやね。
今度の能登でも、厳しすぎる自然環境を嫌って、移住を考える人もいるはず。
全壊してしまった自宅を、前のまま復元しても、街の人口が1/3になってしまっていては、どもならんという現実。
あると思うのやね。
人の多く住む都会と違って、何もなくても限界集落になりつつある町で、昔通りに、大金を投入して、結局、ゴーストタウンになってしまったのでは、復興の意味が無くなるのやね。
とかく、震災の復興というのは、感情論が先走る事がある。
皆から義援金が集まる今のタイミングが、実は、千載一遇の好機になるってこともある。
大事なふるさと。先祖代々の土地を守っていきたい。
昔からのコミニティを守っていきたい。そんな、ニーズは有るものの。
これを契機に、街に近い、津波の恐怖に怯えなくて良いマンションに住みたい。
こんな本音を話す人も、おられるはずなんやね。
復興のカタチは、この地に住む、それぞれ、お一人お一人が決めるもの。
行政やら、国が、こうしなさいなんて、言えるものやないわな。
被害の大きかった輪島や珠洲市、穴水町などの住民も、とりあえずの生活が取り戻せたら、これから先の事を、考える時期がきっと来る。
お年寄りの方にとったら、早く落ち着いた生活が出来るのなら、少し遠くても、皆で移住する選択も、現実的になってくるのかも知れないね。