絞首刑は残忍か
先週、死刑囚が、自分自身が処刑される方法が、絞首刑だと、苦しむ時間が長いので嫌だと、別の処刑方法にして欲しいと、訴え出た。
日本では、死刑の執行は、クビに輪っか状になった縄をひっかけて、頭から黒い布を被せて、処刑台の上に上らせて、立たす。
その処刑台の底が抜ける仕組みになっている。落とし穴方式やね。
複数の刑務官が、同時にそのスイッチを押すことで、どちらが処刑したかが、分からない方法を採っていると、前に聞いたことがある。
処刑をする人も人間だから、お仕事とはいえ、自分が人さまの命を奪ったとなると、精神的なトラウマになるので、その方法になったそうな。
ただ、今度は、処刑される側が、絞首刑の残虐性を訴えている点が、どうも、勝手が違う。
電気椅子やら、銃殺なら、一瞬にして、死ねると思っているのかな。それとも服毒がいいか、ガス室がいいか。
そもそもやけど、処刑の方法を選ぶ権利が、死刑囚にあるのかどうか。その論議も必要やわな。
別の処刑方法にするために、余計な税金を使うのだから、そんな、我儘は、聞く必要が無いと、一刀両断に、無視すればよい。そういう意見もある。
まぁ、普通の人は、処刑される側に回った事が無いから、そんな人たちの気持ちになれと言う方が難しいけどね。
まぁ、その前に、死刑になるような事を自分がした事。これを悔いて、然るべきやと思うけどね。
日本では、死をもってしか、その罪を償えない。死刑でしか、世の中の正義が守れないとして、死刑が存続している。
死刑の存在が、人が犯してしまう犯罪の抑止効果があるという、根深い意見もある。
ただね、盗人にも一部の理。どうせ、死ぬのなら、楽に死にたい。
この我儘を聞いてあげるべきという、人権重視派の人たちの意見がある。
反対に、大罪を犯した人間に、選択肢を与えるのは、社会正義に反するという考え方も成り立つ。
死刑囚にも人権はあるが、その人の希望を聞きすぎると、日本は、甘すぎる国であるという批判も出る。
被害者家族の心情が、害されないか。このあたりが、この議論の行きつくところになるのかもね。
東京裁判で、判決を言い渡す時に、「Death by hanging」と、裁判長が宣告する場面が有った。
首を吊ってでの死刑。死に方まで、判決する欧米のやり方が、残忍に殺さないと死刑の価値が無いとも言っているように、私には、聞こえるのやね。
そこには、見せしめ的な意味も感じ取れるのやね。