内心の自由
それにしても、最近の世論の傾向って、明らかに矛盾している事がある。
それは、国葬に反対している人たちが、他の人に、「国葬反対。安倍になんか、弔意をはらうな」と、強制している事なんやね。
それって、明確に、内心の自由への侵害行為になっているわな。
安倍元総理に、弔意を払うな。は、弔意を払おうとしている人の内心の自由を明らかに犯しているわな。
安倍さんは、長年にわたり、国家に尽力されたのは事実であって、その人を弔うのは礼儀やと私は思うけどな。
酷い総理が続いて、日本がボロボロになっていたのを、救ったのは安倍さんやと私は思うけどね。
政治家としての好き嫌いはあるけど、正直、少なくとも、外に出ていってもらっても恥ずかしくない立派な総理やった。
そんな安倍さんとのお別れに、献花に訪れたい人たちにも、そんなところに行くなと、果たして言えるのかなぁ。
元統一教会の問題にしたって、内心の自由、信教の自由は、憲法19条によって、厳しく戒められているはずやないのかな。
そもそも、信教の自由を侵すなと、いう事と、旧統一教会だけは、宗教では無くて、そんなのは、宗教と認めたくないというのは、根拠が薄すぎる。
寄付金の多寡や、怪しい壺を授ける行為も、誰も犯罪に認定出来てないやないの。それは、法律が無いから。
法律作るったって、難しいで。寄付金1000万以上は違法って、出来るか。霊感新たかな、仏像売って、犯罪者に出来るか?
誰も出来ないし、社会的に問題があるなんて言っても、違法でないから、何もできないのが現実。
誰も違法なラインを明示できないから、立法化が難しいのやね。
旧統一教会と、縁を切れ・・と言うのも、よくよく、考えてみれば、信者に、こんな宗教は信じるなと、言っているのと同じ。
内心の自由を、もろに侵害していると、いわれりゃ、反論できないやないの。
昔の創価学会が、強力な信者集めで、社会問題化されていた時期もある。
でも今は誰も、公明党が、カルト宗教であった創価学会と一体だと批判しない。
それは、創価学会が、変わったから。カルト化を弱めたからに、他ならない。
天理教、大本教、オウム真理教改めアレフ、生長の家、立正佼成会、いんなぁとりっぷの霊友会、PL教団に、GLA、真如苑に、世界救世教、幸福の科学、新興宗教の、どこがカルトで、どこが社会問題を引き起こしそうか、誰が決められるのか?
新興宗教というものは、常に新しいのが生まれてきて、形態を変えたところが生き残ると言う歴史があるのやないかな。
誰がレッテル貼りを出来るかと考えたら、裁判所以外にないのやないのかな。
つまり、判決が出てないところの宗教は、固く、信教の自由が守られていて、手が出せない。そんな、理不尽さがあるものなんやね。