弱者のふり
皆さんは、強制貯蓄という言葉をご存じだろうか。
国民が、コロナ禍のせいで、どこにも旅行が出来なかったり、買いたいものがあっても、出かけられなかったりして、銀行に貯まってしまった貯蓄の事を、強制貯蓄と言うのやね。
まぁ、このお金は、いずれ使われるお金なのやけど、全員に10万円が配られたり、持続化給付金とか、営業補償のお金などが、積もり積もって、令和2年度には、20兆円だったのが、令和3年度末には、2.5倍の50兆円にも膨らんでいるのだという。
日銀の黒田総裁は、この事を指して、この強制貯蓄があるから、国民は、物価が騰がっても、「容認している」なんて、ことを言ったみたいやね。
家計の値上げへの許容度の問題としてとらえたのやろう。
ただ、マスコミは、この黒田発言の「国民は物価高を容認している」という、ところだけを、例によって、切り取って報道したものだから、炎上騒ぎになった。
日銀のえらいさんは、庶民の暮らしに寄り添ってない。我々庶民の苦しい暮らしぶりを理解してないと、いつも通りの、感情論やわ。
私ね。日本人の性根が、この頃、ひねくれてきているように、感じているのやね。
どこの国に感化されたのか知らないけど、何かあったら、自分が弱者のふりを、反射的にする人の比率、最近、増えて無いか。
弱い者は、助けてもらえる。被害者の方が有利。こんな、しょうもない、条件反射。私は、どうかしてる・・と思うのやね。
サッカーで言えば、触ってもいないのに、わざと、こけて、脚が痛いふりをするような感じ。これ、シュミレーションっていう、立派な反則と思うやけどね。
肩がちょっと触れただけで、大げさに倒れて、被害者のふりをする人。
自分から車にぶつかりに来て、わざと倒れて、大げさに、けが人アピールするようなところ。
私、無性にこんなのに、腹が立つのやね。ただの当たり屋やん、こんなの。
何に腹が立つのかを、よくよく、考えると、社会的な公平さが歪められることになんやろうね。
公平公正を歪めて、自分だけが得をする行為。これは、フェアじゃないからかね。
それだけ、社会の中での公平さが、歪んでくる事を、皆が要求することが多くなった。そんな感じかな。
大きい声出す人が有利になって、真面目にコツコツ仕事して、声を出さない人が不利になる。この不正義が許せないのかもね。