そこそこの医療 | 京都発、言いたい放題!~毎日更新~

そこそこの医療

 先日の即位礼を見ていて、この儀式が終わって、一番喜んでおられるのは、上皇さまやろうなぁと、思った。

 

 ご自分の生きているうちに、ご子息の立派な姿を見られるのは、譲位の最も良いところやろうからね。

 

 これで、安心して、重い肩の荷を降ろされたのやろうね。。考えれば、天皇家に生まれながらにして、人生が決められていて、それに背くことの出来ない運命。。この重責感は、我々下々の者には、全く想像もつかないわな。。

 

 今の世の中、「就活」ならぬ、「終活」なんて、言葉が流行っている。自分が死ぬための準備。出来る事なら、残った人たちに負担をかけないで、おきたい。。。そんな親心は、誰にだってある。

 

 でも、上皇さまほどになると、自分の死に時も、決められないものやろうなって、変な事も考えてしまう。国民の象徴だった方には、当然、最善の医療が施されるのやろう。

 

 でも、今の日本の医療って、位の上下や、貧富の差などなく、誰でも、かなりの高度な医療が受けられる素晴らしい制度が出来上がっている。

 

 ただ、そのために、我々国民が納めた税金の半分が吹っ飛んでいる・・というのも、また事実。。

 

 お年寄りが、もう、そこそこで死にたいと、考えていても、家族やその周りの人たちは、最善の治療を望む。当たり前かも知れないけどね。。

 

 皆さんは、緩和ケアというのをご存じやろうか。。余命宣言をされた人たちが、治療では無く、自分の死期までの時間を、痛みを取ることだけを希望し、自らの辛い癌治療などを拒否し、自分の天寿を全うする。

 

 このホスピスと呼ばれる施設では、人間の尊厳死が尊ばれている。人らしい、自分の死期の迎え方。。私は、弟がこの施設に入って、見送ってから、少し、自分の死生観が変わったわ。。

 

 うな丼の例に、例えるのは、不謹慎なことかも知れないけど、医療にも、「松」「竹」「梅」のランクを設けるのはどうなんやろうね。。

 

 ご主人の退職金や残されたお金を全て、食いつぶして、植物人間状態で10年も長生きして、残された人は、無一文。。これ、本当に、望んだ死に方なんやろうか。。

 

 「そこそこ」の定義は難しいけど、人生のタイムリミットを甘受する権利。誰にも有ると思うのやね。。死にたくても死ねない今の医療制度って、どこか間違って無いのやろうか。。