最低賃金の意味あい
まあまあご年配の方々なら、昔、世の中に最低賃金という概念が導入された時のことを覚えておられると思う。昭和34年かな。
劣悪な労働条件で働かされている人の賃金の最低限を保障をすることによって、労働者を守ろうという趣旨やったはずや。
当時は、高度経済成長にまだ差し掛かる前で、企業が労働力を、安く買いたたいていた時代かな。だから、地域や職種によって、賃金の下限を決めて、それ以下で人は雇ってはだめという指針を作ったのやね。。
当時の最低賃金は、平均的な時給よりかなり下で、それ以下の労働力の買いたたきを防止する意味合いやったと思う。。今とは大違い。
でも、今の最低賃金って、どうも、政策の道具にされかかっているような気がするのやね。。賃金、特に時給を決めるのは、あくまで需要と供給が決めるのが、本筋のはずやないの。
東京のように人口が密集していて、なかなか人手不足が続くと、自然と高い時給を出さないと、人が集らないし、逆に過疎地の田舎のコンビニのアルバイトさんの時給は、超低額でも、客の絶対数が少なすぎて、経営が成り立たないなんてことになる。。
本来経済原則によって決まるべきその地域の労働単価の相場が役人達によって決められて、その通りに順わないと、人が雇えない。。これ、無理がないか。。
政治が経済をコントロールしようと恣意的に動くこと。これがろくなことにならないのは、お隣の国を見ていたら明らかなのにね。。
何が問題か。つまり、客がほとんどなくて、楽なお仕事で、安い時給でも働きたい人、或いは、安い時給でも人を雇いたい人たちの需要を奪っているのやね。。
例えば欧米で、ベビーシッターと言えば、若い人の手軽で比較的楽なアルバイトの職種なはずや。ところが、日本ではほとんど、お手伝いさんのお仕事がない。。
他人に自宅に入って欲しくないという文化もあるのかも知れないけど、最低賃金法なんて法律が、邪魔しているという考え方もある。。
出稼ぎの多いフィリピン人女性の多くは、アメリカなどの家庭で、シッターとして働く、彼女たちの時給は、驚くほど安いはずや。。赤ん坊の面倒だけみる。。危険が無いように見ているだけ。それでも、労働としての需要は多いはずや。。
日本人の人たちは、もっと開発途上国の人たちに安いけど楽で、それでも、彼女たちの母国とは格段に良いお金がかせげる機会を提供すべきやないのかな。。
海外に赴任する日本人家族の多くが、海外では、家政婦やシッターを雇う。いや雇わざるを得ない文化があるのだという。お金のある人は、無い人たちを雇ってあげて、その人達の生活も少しは豊かにする手助けをする。そんな文化があっても良いのやないかな。。
海外赴任から日本に帰ってきた家族は、日本では急に家政婦を雇わなくなる。日本でも雇ってくれたら、安定した雇用先になるかも知れないのにね。。
労働の対価というものは、政治や官僚が決めるのではなくて、労働者と雇用主が決めること。行きすぎた介入は、悪い結果にしか、行き着かないのやないのかな。。