復讐戦
日本とロシアの領土と友好条約の交渉が、またまた、進みそうで進まなかった。
領土問題は、日本側にとっても、ロシア側にとっても、国民世論が大きくなるから、なかなか進展は望めないね。。
そんななか、いろいろな報道で、日露交渉の歴史のような特集が組まれていた。
とかく、感情的になりやすいこの種の問題で、冷静に事実だけを並べていたのを見て、少し、日露のボタンの掛け違いの端緒が見えた。
それは、ロシアが、日本の終戦と国民が解釈している8月15日以降に、択捉、樺太、国後、色丹に侵攻したという部分や。
我々日本人は、弱り目に祟り目。戦いが終わってから攻め込んできたソ連軍を、汚いやつらと、言い続けてきた。
でも彼らにとっての第二次世界大戦の終結は、ポツダム宣言の受け入れの日であり、ソ連軍は、それまで戦争モードのままだったということなんやろうね。。
日本流の武士道の精神は、露助には通じんわな。日本から見たら、火事場泥棒にソ連は見えてたからね。。
それと、そこまでソ連が日本侵攻にこだわっていた理由。これが、日露戦争でのロシアの敗戦にあったというのやね。。
日露戦争は、まさに、日本とロシアのバルチック艦隊が戦った海戦のような印象が強いけど、今の北朝鮮やら、中国の北東部での陣地取りゲームが現実や。。
ロシアの国土が膨大だったから、極東と欧州で両方戦わないといけなかったソ連は、どうしても、極東が手薄にならざるを得なかった。だから、アジアの小国でしかなかった日本に屈辱の敗戦を喫した。
ソ連の北方領土への侵攻には、多分に、日露戦争の復讐戦の意味合いが強かったとのこと。妙に、この部分に納得してしまったわ。。