人は幸せになるために生まれてくる | 京都発、言いたい放題!~毎日更新~

人は幸せになるために生まれてくる

 早朝のNHKを見ていると、連日、リオのパラリンピックの中継が放送されている。パラリンピックって言えば、少し日陰の存在的なイメージが、どうしても有ったのやけれど、どうしてどうして。連日の熱い戦いを見ていると、その認識が完全に間違っている事に気付かされる。

 

 車いすラグビーやらバスケット。ボッチャなど、生まれて初めて見た競技も多かったけど、どれも、どんなルールにすれば面白くなるか。フェアになるかを、よく考えられて進化しているのやなぁと思うわ。。。

 

 なかなか、日本チームに金メダルが無いのは、寂しいけど、それだけ、障害者スポーツが世界で普及してきて、競技人口が増えてきた結果やないのかなって思う。。。

 

 パラリンピックの事を、悪く言いたくは無いけど、障害者スポーツは、競技人口が極端に少ない。。。だから、語弊はあるけど、少し真剣に取り組んでいる人が、日本代表の座を簡単に独占して、パラリンピックで、メダルを量産する。。。そんなイメージが、少なくとも私には有った。

 

 障害があるのに、スポーツなんて。。。多くの障害者の人たちは、スポーツを早々に諦めてしまっている場合が多いと思うのやね。。。だから、限られた人が、競技をすると、すぐに注目され、すぐに日本記録が取れてしまう。。。

 

 それに、障害者スポーツというものは、共産国家とか、先進国でしか、なかなか強くなれない。。。それは、意外と、大きなお金がそのスポーツをするのに必要だからなんやね。。。何十万もする特殊な車いすや、スポーツにも耐えうる高価な装具を、後進国のスポーツをしたい障害者の人たちが手に入れることは、まずもって無理な話やからや。。。

 

 つまり、パラリンピックは、実は、お金持ちと、国家がバックに付いている国だけの特別なスポーツであるのやね。。。残念ながら。。。

 

 ただ、障害を負ってしまった人にとって、大きなハンデキャップを持ったまま、卑屈な気持ちになって、生きていくことは辛いこと。生きがいのようなものを探して、スポーツにそのアイデンティティを見いだして、パラリンピックを目標に頑張っている人も、だんだんとやけど、増えて来たのやね。。。

 

 スポーツは、障害者にとって、大きな存在になり得る。不幸な自分を卑下することは止めて、前向きな自分にならせてくれる魔法が、ここにあるのやね。。。

 

 人は、誰もが幸せになるために生まれてくる。健常者であろうが、障害者であろうが、そのことに違いなんか、無い。。。リオデジャネイロの、パラリンピックで、真剣に全力で、プレーしている選手の人たちを見ていると、その思いが、ひしひしと伝わってくる。やっぱり、スポーツは、素晴らしいな。。。