原爆は犠牲者を減らした
今週の「ここまで言って委員会」を見ていて、ちょっと気になった事があった。よく、米国人は、広島、長崎の原爆投下を正当化するために、犠牲者を減らすために・・・という方便を使ってきた。
多分、米国の教科書にもそう載っているのやろうね。。。日本人からしたら、無辜の非戦闘員を一瞬のうちに、大量虐殺した兵器の使用を正当化する米国に、それだけは、受け入れられない一線やと思って来たのやね。。。
何十万人も殺した人が、いくら屁理屈をこねられても、そんなの下手過ぎる言い分けにしか聞こえない。。。日本人なら、そう思うわな。。。
ところが、この言葉。。。実は、米国の軍人たちの犠牲者を減らしたという意味やったのが、この前、初めて分かった。。。日本人は、最後の最後まで死にものぐるいの戦いを続けてくる国民性。これが米国人には怖かったのやね。。。
沖縄戦を戦った米軍は、多くの日本人を殺したけど、同時に多くの米兵の犠牲者も出していた。。。このまま沖縄から九州、本州と攻め上がっていけば、いったい何人の米兵の命が失われるか、わからない。。。
彼らの言う、犠牲者っていうのは、日本人やなくて、対日本軍に対峙していた米国軍の兵士のことやったんや。。。この本音を隠して、全体の犠牲者という言葉で逃げていた。。。そうやったんや。。。
冷静に考えれば、恐らく、日本が降伏してくれた時、米軍は本当は正直、ほっとしたのやろうね。。。特に太平洋戦争の生き残りの米兵たちが、みんなこういう証言をするのやという。。。原爆のおかけで、自分の命が助かったと。。。
現代の日本人が、その当時の人々の気持ちになる事は、本当に難しい。時代背景が違うのに、今の論理で昔の事を推し量ることは、大変な問題なのは、慰安婦の事で、もう、すっかり、懲りたのやね。。。
在日米軍は、東日本大震災の時の、トモダチ作戦のように、今度の熊本大震災でも、航空輸送の援助を、かって出てくれている。。。70年間の時が、日本と米国の間にあった、わだかまりを、少しづつやけど、溶かしていったのやろうね。。。