配慮大国・ニッポン
イスラム国って、国名やないから、ISって言った方が良いのかも知れないけど、そのISでの人質事件以来、日本のマスコミが、いろいろな配慮をしている。
歌番組で歌う歌詞が、残虐性を連想させるから、その部分を変えて歌ったり、宝くじのビッグのコマーシャルで、五島さんという名前が、人質になっている後藤さんと、同じ読み方だというので、このコマーシャルが取りやめになったり。。。
ちょっと、過剰反応ではないかと思うほどの配慮ぶり。。。最近の日本社会の傾向が、いろいろな分野で、総攻撃のバッシングを受けるようなことが、増えて来て、それを恐れた人たちが、「配慮」をしているような印象を受ける。。
何か、マニュアル的で、そつが無く、スマートだけれど、心のこもってない、現代の若者気質の弱点のような気もするね。。。
別に配慮することが悪いと言っているのでは無く、それはそれで、社会の「やさしさ」の現れだと、思うから、良いのだけれど、問題は、ちょっとしたことで、炎上しやすくなってしまっている国民感情とかいう、化け物の方が、心配なんやね。。。
バッシングは、大人のイジメが、形を変えたモノや。そこには、当事者ではない、傍観者たちが、「寄って集って非難すること」が行われ、これに快感を覚える馬鹿たちが、集う。。。この傾向が、ある意味、危険なんやね。。。
日本人には、人の振り見て我が振り直せ。。。という、言葉の通りに、人の失敗や、落ち度を、非難するのではなく、黙って、自らの戒めとしようと、考える美学があると思うのやね。。。
それは、社会を険悪な雰囲気にせずに、見てみない振りをすることで、「おおごと」にしない・・・という、大人の態度が含まれている。。。
言い換えれば、見なかったことにしてあげるやさしさ・・・かな。。。ここには、悪意は無い。。。
ところが、今は何でも「おおごと」にしてしまって、世間を騒がせることに無類の喜びを感じるサディストのような変態性が見受けられるんや。。。
それだけ、人々の心の中の余裕が無くなってきてしまっていて、言葉や行動を起こす前の、ワンクッションが出来ない人たちが増えて来てしまっている証拠。。。ここに危機感を感じるのやね。。。
心の豊かさのある人間は、ものごとを冷静に見て、自分の行動によって、他の誰かが傷つくかもしれない行動に配慮できる。。。そんな日本人であって欲しいもんやね。。。