国家機密にすることの重さ
自民・公明の現政権で、衆参両院での過半数を持つと、発議した議案が、何でも通るという状況になる。つまり、それだけ、議会の重要度が下がってしまったということ。
ねじれ状態が、続き、「決められない政治」も困るけど、「暴走してしまう政治」も困る。そんな端的な例が、機密保護に関する法案かも知れないね。
日本はスパイ天国とも揶揄されて、何でも敵に筒抜けだと、よく批判される。国家の安全に関する、保護する法律が未整備だから、これを制定しようというのが、法律の趣旨なのやけど、これがなかなか難しい。
国民の知る権利と、国家機密が漏れたときに受ける国益の損失を比較した場合、どちらが、大事か。常に、この壁にぶち当たるのやね。
明確な基準を作ることが難しい。今回の法案の作り付けを見ると、大臣が機密を指定することになっているけど、これって、何でも大臣が機密だといえば、情報を公開しなくて良いことになってしまう。
そして、今まで、原則公開の大前提が崩れると、国家の秘密主義が進むことにもなる。罰則についても、厳罰が準備されているから、例えば、中国漁船に海保の艦艇が体当たりを食らった映像をリークしたsengokuなんとかさんも、国家機密を暴露した大悪人ということになってしまう。
正当な内部告発が、妨げられる結果も想定されてしまうのやね。機密保持も大事だけれど、国民知る権利も尊重されるべき。この兼ね合いが難しい。
情報は、原則、全公開。外務、防衛、安全保障に関するもので、公開してしまうと、国益が削がれることがある場合に限り、閣議の了承のもとに、機密に出来る。。などの、明確なルール作りが必要やろうね。。。
そして、機密にした内容を30年後には公開するなどの、年限を決めた公開のルールも大事になってくる。30年後も機密かどうかの判断をすること。この意味も論議されるべきやね。
それだけ、非公開にすることの重さを政権担当者に課すということも、必要になってくるやろう。問われるのは、「公」の意識改革であるのかも知れないね。