器の大きさを示す
8/17(土)ここ数年、日本では、「空気読め」という言葉が流行った。略してK・Y。場の雰囲気を壊さずに、流れを止めるなという、極めて日本人的な発想。。。これって、島国・日本の中だけのローカルルールやと思うのやね。この空気を読めない人を異端児扱いして、必要以上に虐めるような体質。。陰険やわ。。。よく考えたらこれって、良くない事やね。。。
世界にはいろいろな考え方をする人たちがいる。こっちが、これが正しいと信じていても、別の人は、また信じていることが違っていて当たり前。
相手にまで、こちらの考えている事を、察してくれという、「察してちゃん」は、他の国では通用しない。それは、その国の人の持っている価値観が、違っているから。もし、逆に、相手が、意外と、近い価値観を持っていたりすると、やけにうれしくなるものでもあるのやね。
国籍や肌の色、言語が違っていても、マクドナルドで並んでいる人は、ハンバーガーを買おうとしてることは分かる。道にうずくまっていたら、気分が悪くなったのではないかと、心配する。道でうずくまって、泣いている人がいたら、どうしたんだろうと、気にする。以心伝心って、外国人の人とでも、意外と伝わることが多い。
でもね、日本人同士の場合、相手がこちらの気持ちを分かっていてくれていて当然、という、ある意味、遠慮のない厚かましさがあることって多いのやないかな。まして、いつも一緒にいる友達同士なら、おんなじような考え方や気持ちになっていると、信じて疑わない。これが元で、気持ちが伝わらなかった時に、酷く落ち込んだり、こんなことも分かってくれないのかと、相手を批判までしてしまう。私、これって、一種の甘えでもあると思うのやね。心が折れた。。。。よく、若い人が使う言葉や。。。使いすぎぐらい使う。。。
相手にしっかりと、自分の意志を伝える事は、大変大事で、でも、日本人同士って、意外と、その努力を怠っているのかも知れないのやね。しっかり伝えないと行けない事でも、このぐらいは、分かってくれるだろうと、変に伝え方があやふやなケースも多い。欧米人の場合、白か黒か、答えが曖昧なままに済ますことはない。明確な答えが無い事は、伝わってないのと同じという、ルールがある。これが日本人は甘い。
狭いコミニティに住む日本人は、人と人の付き合いを重視する。特に、京都のように、お隣の家とぴったり隣接した家が多い都市部では、いかに相手のことを傷付けずに、うまく生きて行けるか・・・ということに、気を使う。
NOと、ハッキリ言ってしまうと、相手の人が傷つくのではないか。もう相手にしてくれなくなるのではないか。ひょっとしたら、逆ギレして、こちらに暴力で訴えてくるかも知れない。だから、曖昧に断る文化が生まれた。京都の「考えておきます」は、お断りの意味。結果を曖昧にすることで、自分と相手の人間関係が崩れないように何とか気を使った表現なんやね。これが、他の地方の方には、俎上に載せて前向きに検討する約束・・・の意味として捉えてしまう人が居る。違うって言ったら、どっちやねん。。。ってなる。
これが日本語の悪い所と指摘する人もいるけど、私はちょっと違うと言いたいのやね。日本の文化には、三方得の精神がある。自分にとっても、相手にとっても、その間に立つ人にとっても、良い結果になることが、ビジネスの基本や。ここには、相手のことを最大限気遣うという、気持ちが入っている。これは、洋の東西を問わず、理解可能なもので、その気持ちが分かったときに、感動が生まれるものなんやね。
相手を言い負かせる文化ではなく、みんながうまくいくにはどうしたらよいかを追求する。自分だけの利益を追求している人は、軽蔑される文化がここにはあるのやね。。。ここ、結構、大事やと思うんや。今の日本、安倍さんがヒトラー扱いされたり、オバマが諜報局員の亡命問題でロシアとの会談を断ったり、ちょっと、気持ちの余裕のない事が増えてきている。日本も中国や韓国と、急激に反発し合うようになってしまって、みんなが、ちょっとイライラしている状態が続いているのやないのかな。
そんなとき、一度立ち止まって、国益国益なんて言って無くて、もっと、どうしたら、みんなが仲良く出来るかを一番に考えたらええのやと思うのやね。。首脳会談が出来ない不幸はあるけど、実際にあって話さないと、相手の本心は分からないし、疑心暗鬼にばかり陥っていれば、良い関係はどんどん遠くなっていく。お互いに頭を冷やす事も、時にはとても大事な事やと思うのやね。。。どうしたら、こちらの器の大きさを示せるか・・・こんなのに、心を砕くのもいま、必要なことなのかも知れないね。。。