価値観を押しつけることを恐れるな | 京都発、言いたい放題!~毎日更新~

価値観を押しつけることを恐れるな

4/22(月)私、最近、ちょっと気になっていることがあるのやね。よく、若い人と話すと、自分の価値観を人に押しつけるなというセリフが出て来る事が多い。人は自由であるべき、人格の多様性を認めるべき。。。これはこれで判るのやけれど、これって、教育現場で、必要以上に、推し進め過ぎではなかった・・・のかな。。。最近の教育審議会とかの方向性を見ていると、どうも、事なかれ主義というか、対立や強制を必要以上に恐れる事が多すぎないか・・・と思うのやね。。。

 先生っていう職業は、先生そのものが持っている価値観を生徒達に「正しく押しつけること」を、国によって認められた職業だと思うのやね。。。だから、その先生の持つ価値観が、あまりにも世間から乖離しすぎたものでは困るし、独りよがり過ぎても困る。だから、廻りのチェックと評価が必要なんやね。。。

 ところが、今の先生の多くは、自分の価値観を生徒達に押しつけようとしないのやね。。。つまり、生徒の前で教科書を読むことだけ・・・が授業のやり方だと、大きな勘違いをしているのやないかって思う時がある。子供たちには、正しい大人の価値観をしっかり覚えさせないといけない事が多い。。。

 家庭でも躾が、出来ない。学校でも、自由。。。生徒達は、塾で講師に怒られて初めて、態度が間違っていたことを教わる・・なんて、恐ろしい現実がある。。。生徒たちは言う。。。どうせ、ウチら、ゆとりやから。。。ゆとり教育を言い訳にして、学校教育が蔑ろにされてきたツケが、いまの、若者たちの「我慢弱さ」や、「辛抱出来無さ」に如実に、現れてしまっているような気がして、しゃあないのやね。。。

 家庭や、学校教育のガタは、そのまま10年ほど後の社会のガタになる。きっと、そこまで、教育が責任を負えないって、そんな人たちは、言うのやろうね。。。でも、今の社会性の低すぎる若者やニート、フリーターの多さって、社会や景気の責任ではなくて、実は、その多くは教育の失敗のような気さえする。。。気の毒なのは、犠牲者である、当時の生徒たちであり、今の定職に就けない若者なのかもね。。。

 教育って、表面的な物ではなくて、もっと、普遍的な部分が強くて、時代は変わっても、変えてしまってはいけないものって、有るような気がするのやね。。。それなのに、今の時代に即した教育に、現場がどんどん変えたくて変えてしまっているような、ぼんやりとした危機感。。。これが常にある。。。教育には、生徒一人一人の心の中に切り込まないといけない部分が多い。多くの教師たちは、このことの大変さに押しつぶされそうになっているような気さえする。。。これが大変だから、事なかれ主義に走る。見て見ない主義になる。クレームさえされなければ良し・・・の仕事ぶりになる。。。

 大津の虐め事件だけやない。全国の教育現場で、一番大切な生徒の心の中にまで入り込まない・・・仕事放棄とも言える教育がまかり通っているのかも知れない。人に自分の価値観を押しつけるのは大変。並大抵のエネルギーではできない。だから、がんばって火中の栗は拾わない。。。これが、多くの虐め事件を、見て見ぬふりをする罪を犯してしまうという、本質のような気がするのやね。。。