日本流で何があかんねん | 京都発、言いたい放題!~毎日更新~

日本流で何があかんねん

11/28(水)皆さんは「ディベート(Debate)」という英語をご存じだろうか。辞書を引くと公的なテーマについて、討論すること。と、ある。ディスカッションという言葉も、討論なのだけれど、ディベートの方が、わざと立場を違えて、その立場で相手を言い負かせる・・・というゲーム的な意味合いが強い。

 私のつたない記憶では、この言葉、実質的に日本で流行りだしたのは、20年ほど前かなぁ。。。アメリカの大学なんかで、ビジネス学の一環、というより、ノウハウ的な意味合いで、即戦力なビジネス上での技術として、流行ってきた感じやないかな。。。。

 話し合いっていうのは、例えばある製品の色を赤がよいか青がよいか、違う立場で、自分は赤がベストだと思う。その理由はよく目立つから。いや、私は青がよいと思う。赤は太陽光で退色するから。。。なんて、やるわけなんやね。

 でもね。私、これって、異文化の人種同士が、自分の主張をどうしたら相手に判らせて、自分の思い通りにするか。。。の訓練の意味合いが強いと思うのやね。。。悪く言えば、「○○ごっこ」の類である。。。日本の大学でも、よくディベートをゼミのテーマにしたり、サークル的にやっているところが多いらしいけど、これって、一見、グローバル的で、世界に通用するには、これからは、ディベートぐらい出来なくては。。。と、早合点してしまう罠のような気がしてならないのやね。。。

 討論っていうのは、有る意味、その人の持っている文化と、相手の文化の衝突やと思うのやね。もちろん、自分自身に確固たる信念や、自分という者がどういう者なのか・・・とか、自分の考えが明確に自分で分かってないと駄目なのやけど、本当は、相手を言い負かせるテクニックなんかではなく、本物を追求している度合いが高い者が勝つのが、ビジネスの王道なんやね。。。

 ディベートの訓練を全て否定する訳ではないけど、あくまでこれって、トレーニングや手法のレベルでの話でしかない。悪く言えば、自分に自信のない人が、ノウハウに頼って、ディベート万能主義を信じ込んでしまいやすいと思うのやね。。。

 聞けば、オウム真理教の「ああ言えば上祐」・・・という、口の立つ人。。。この人もディベートに頼って、人と議論して、言い負かせる・・・とか、論破することの天才やったそうや。その才能が麻原に見込まれてオウム教団の広告塔になっていた。やっていたことは、カルト。。。テロ集団の手先やわな。。。

 日本は、グローバル化しないといけないと、外国人は口を酸っぱくして言い続けてきた。でも、結果として、外国から持ち込まれた相手を言い負かせるテクニックのようなものは、日本の良い所を随分、無くしてしまったような気がしてならへんのやね。。。言い換えたら、西欧による日本の同化政策の一環。日本の価値観を変えさせる目的や。。。

でもね、日本人は相手のことをまず信じて、相手の意見と自分の意見の一番良い所を捜す努力を怠らない。白と赤を混ぜて、ピンク色を作るように、和を以て貴しとなす文化があった。でも、今はどうやろ。赤か白かしか認めない文化になってしまってないか。。。

 何にも西洋風が良いという、欧風かぶれなとろのある日本人。もっと懐を深くして、日本流に戻したら、うまくいくことが多くなるような気がするのやけどね。。。どうやろう。。。