日本人の中流意識が、日本を駄目にした。 | 京都発、言いたい放題!~毎日更新~

日本人の中流意識が、日本を駄目にした。

6/29(金) 私、最近ちょっと思うのやけれど、日本人の中流意識って、怖いことやと思うのやね。高度経済成長の時期には、日本人は、1億総中流・・・っていう言葉が有って、中流であることが、とても良い事であった一時代があったのやね。未だかつて世界で、これほど多くの比率の人が皆、自分はそこそこ幸せであると感じる事が出来る国って、無かったと言われていたのやね。。。そう、自分のことを、中流と感じる人の比率の多い国は、貧富の差が大きくなくて、公平で、皆が幸せであるという、言わば理想の社会やったんやね。。。少なくともその時は。。。

 ただ、このおかげで、ちょっと日本人は、人と同じぐらいの暮らしぶりであることに、安心してしまって、競争や、争うことから、離れていったと思うのやね。。。競わない世界には、発展や進歩はないのに。。。そして、変な常識を振りかざす人が増えて、その人の考える範疇に入らない人たちのことを、異端児扱いして、排除する傾向が強まった。こんな常識も知らないのか。あの人は非常識だ。。。そんな会話が増えた。

 でも、よくよく考えて見て欲しい。常識って、大多数、みんな・・・っていうキーワードになるのやけど、100人のうち、いった、何パーセントの人が感じたら常識と呼べるのか。そう、そんな決まりはない。過半数だと答える人も、実際に、そんな面倒な統計を取ったって言う話は少ない。つまり、その人に都合良く、自分の考え方と違う人たちを否定するためだけに、多くの場合、常識が、使われてしまっているのうな気がするのだがどうだろう。。。

 私は人とは、100人居たら、100通りの考え方や感じ方があって然るべきだと思うし、その感性をカテゴライズして、傾向を出す事が、日本人はとても好きであると感じるのやね。。。それは、同じような顔をした同じような住環境で、同じような暮らしぶりの中で育った人たちは、同じ様な考え方をすべきであるという、かなり横暴な発想が根底にあるような気がしてならないのやね。。。

 ネット上の掲示板サイトなんかで、良く出てくる意見を見ていると、嫁と姑の話とか、介護は実子の話であるとか、同居と別居の話などで、かなりの人が、今はこれが常識・・・であると決めつける発言が目につく。それと、あくまで、自分にとって都合の良い意見だけが欲しいために、このような場に投稿する人たちの多いこと、多いこと。。。それだけ、実生活の中で、人と人のコミニケーションを取る機会がどんどん減っていて、何が常識であるかの判断が難しくなって来ているので、ネットに依存する傾向が強いのやね。。。

 私、今の時代に欠けていることって、やっぱり、人を立てて、相手の意見や立場を尊重することやないかと思うんや。人と自分は違っていて当たり前。それを素直に受け入れて、その人との違いを大切にする気持ち。これが、徹底的に不足している。「ひとさま」っていう言い方がある。自分以外は、皆、人生の先生や。自分の知らない事や、自分とは違う考え方を教え、気づかせてくれる人たちや・・・っていう気持ちになれたら、もっと世の中、変わってくるのにね。。。