相手を完膚無きほどに負かすのは日本の文化やない | 京都発、言いたい放題!~毎日更新~

相手を完膚無きほどに負かすのは日本の文化やない

5/1(火) クレーマーっていう言葉。いつ頃から出来てきた言葉やろう。。。人に、文句を付ける人・・・っていう直訳やけど、その人の落ち度を追求することで、なにがしかの優位なことを引き出そうとする悪意・・・っていう風にも取れる。昔なら、「気をつけてね、今度から・・・」で、済んだ事が、何かメリットを引き出さないと損・・のようになってたのは、世の中が、それだけ荒廃して、人の心に余裕が無くなってきた証拠とも取れるのかね。。。

 今の世の中、何かを主張出来る事が正義で、出来ない事が悪・・・なんてことが増えて来た。テレビや新聞などで、何かがある度に、謝罪会見なんていうのがなされて、そのお辞儀をした瞬間に、無数にたかれるフラッシュの光。。。

 本当は、謝罪を受けるべき当事者でも何でもないのに、社会に誤る・・・とか、国民に謝る・・・なんていう場面が、ここ何年も、増えて来ていないやろうか。。。それだけ、マスコミが当事者にたきつけて、謝罪はしないのか・・・と糾弾したり、しなければ、批判したり・・・こんなのを繰り返しているうちに、何か、謝らせるのを快感と感じる人たちの気持ちが醸造されていってしまって、これがないと、謝罪してないと批判される。いつまでもつきまとわれるのが嫌だから、そんなに悪くも思って無くても、謝ってしまえ・・・という傾向。。。増えてないかな。。。

 この傾向が強まってくると、我々は、何度も何度も謝罪会見を見せつけられる。これを見ていると、何か自分が特別、偉くなってしまったような錯覚に陥る。人に謝らせて当然。自分は特別な存在で、人に頭を下げるのは死んでも嫌。。。でも、立場が変われば、自分が謝っている。。。どんどん、人間関係が謝る人と、謝られる人の二通りでしかなくなる。。。謝罪っていうのは、物事に白黒をつけるからね。。。隷属と服従の関係や。。。

 この傾向が強くなりすぎることって、世の中がどんどん荒廃していくことに他ならない。。。宗教家が、他の人との人間関係ほ良くするにはどうしたら良いか・・・を聞かれると、それはまず、「全てを許すこと」だと答えられる・・・というのを聞いた事がある。

 人に寛容な気持ちがもてないと、その人と自分との異なりを埋めようと、自分の意見に相手を服従させよう、言い負かしてやろうという、気持ちが大きくなって、その結果、相手と諍いに発展する。それを防ぐには、相手のことを認めて、異なりを理解し、その違いを認めることしかないのやね。。。これが現代の日本人には根本的に不足してきている。。。

 ディベートの文化は、所詮、西洋から輸入されてきた価値観が前提にある。お隣さんが、どんな変人であり、どんな迷惑をかける人であっても、日本人には、同じ民族であるという、仲間意識がある。出来れば喧嘩せずに、良い人間関係を続けながら、自分の生活も守りたいという、スキルが備わっているはずや。。。島国である日本のええところ・・・これを、もっと見直してみる事も大事な事かも知れないね。。。