空気を読むことって、そんなに大事なことか? | 京都発、言いたい放題!~毎日更新~

空気を読むことって、そんなに大事なことか?

3/17(土) ちょっと前から、KYっていう言葉が流行った。「空気読め」日本人っていうのは、和を以て貴しと成す・・・っていう特性がある。村社会というか、よそ者を警戒するのと、自分たちの領域や雰囲気が他の者によって壊されるのを極端に嫌う特性から、秩序という、無言の規律が、そんな言葉を作らせたのやろうね。。。

 ただ、場合によっては、この秩序維持意識が、自分たちと違う考え方やら発想をする人たちを、特別視したり、異端児扱いすることによって、イジメのような形になってしまうことも多い。。。自分たちと同じ考え方や同じ肌の色や、同じ価値観を持たない人は仲間ではないという閉鎖性も生んでしまいがちになるのやろうね。。。

 このことは、ある意味、良いことであると、日本人の間では思われてきたのやけれど、世の中の価値観が多様化してくると、実は、この空気を読めない、読まない人が多く出現することを容認することになってきたのやね。。。ただ、その事に眉をひそめることばかりやっていると、どうも、こじんまりし過ぎるとか、ある一定の価値観だけにこだわりが出過ぎて、良い意味での自由な発想が出にくくなったり、人と違う意見を抑制し過ぎたりしてしまうことって、多くなって来たと感じる時がある。

 明らかに「空気読み過ぎ症候群」とでも言うのかね。。。少し考え方が固くなりすぎて、ここはこうでなかったらアカン・・・なんてことで増えすぎてきた。。。まるで空気を読まないことが、とんでもない悪人であるかのような考え方・・・これが最近気になるのやね。。。

 例えば団塊ジュニア世代が多いと思われる掲示板サイトになんか、我々50代ぐらいの人間が飛び込んでしまったりしたら、あまりにも、固定化されたその年代だけにしか、通用しない価値観しか持てない人ばかりなのに驚く。人それぞれ、世の中にはいろいろな考え方の人が多いのに、ここでは、これが常識。これを一歩でも外した人は、人に非ずという、総攻撃の対象になる。。。本当は論議が分かれる事でもね。。。

 この基になるのが、「寄らば大樹の陰病」なんやね。。。自分はいつも、多くの人が考える常識のど真ん中にいることを心地よく思う人たち。。。その固定化された価値観っていのは、時として、飛んでもなく攻撃的や。。。6対4ぐらいで意見が分かれるようなときも、我こそは正解なり・・・というのに必死になる。。。ビックリするほどにね。。。

 人の暮らしぶりや、人の考え方っていうものは、十人十色の世界。自分と違う人の意見を叩くのやなくて、その異なりを認めることって、意外と大事なことやと思うのやね。。それやのに、それが出来ず、相手を徹底的に、完膚無きまでに叩きのめすような欧米流のディベートの世界をそのまま、受け売りする人のどれだけ多い事か。。。ちょっと寒々した世の中を連想してしまう。。。

 自分の物差しの小ささを恥じることをせず、人に信頼されようとすれば、先に自分が相手を信頼しなければダメだ・・・という最低限のコミュニケーション力も無い人がいて、ほんと驚く事が有る。。。本当は空気を読まない勇気って大事なときが多いし、ぶつかって、得られるものって、意外と多い。空気を読めない人は困るかも知れないけど、読まない人の意見って、時には大勢になることが、多いのやないのかな。。。