臓器移植法案から見る、日本人の死生観
6/21(日) 脳死は人の死。。。臓器移植法案が衆議院で可決して参議院に送られた。ただ、この法案に関しては、議員一人一人の死生感を尊重させるために、党議拘束はかけなかったんやて。。。まぁ、本来、何でも議員一人一人の判断で決めるのが本当なのやけれどね。。。
心臓がまだ動いているのに、脳波が出なくなっただけで、死亡であると認めてしまうことは、患者の周りの人からしたら、許せないこと。。。いくら、欧米での基準がそうであっても、脳死状態で、長く植物人間状態になっても「生きている」人は、日本にも多い。。。
この人達を一律に、法律で、もう死んだ人にしてしまうことが、果たして、国会議員さんたちの多数決だけで、決めてしまって良いものなのか。。。ことは、人の生死に関わることだけに、まだまだ慎重になる人が多かったのやろうね。。。
その反面、日本では脳死状態で、臓器を摘出して、移植するということが出来ないケースが多く、遠く海外にまで行って、日本人が外国人ドナーからの臓器提供によって多額の手術費用を支払って、移植手術をやっていることへの国際的な批判もある。
中には、高額の謝礼につられて、貧困から抜け出すために、自らの臓器を売る、臓器売買の温床になってしまっている・・・という批判もある。。。
日本人の命は高くて、後進国の人たちの命は低いのか。。。なぜ、日本人は日本人から臓器提供を受けて移植手術をしないのか。。。他国からそう批判されても仕方がない現状がそこにはある。。。日本国内では、年間300件代・・・ぐらいしかされていない臓器移植手術。。。多くの移植を待ちながら亡くなっていく命に、正面からちゃんと、向き合うべき・・・こんな姿勢が求められてきているのやね。。。
肉親が亡くなった時、病院では、献体を頼まれたり、移植可能なら、ドナーとなることを勧められる。ただ、身内を失った混乱の中、臓器を取り出してどなたかに提供する・・・なんてことをなかなか、悲痛な肉親が決められるはずはなく、ほとんど提供者がいない・・・のが、日本の現実なのやないのかね。。。
実際、献体をしたら、通夜や葬式は1日から2日後延ばしになる。。。そんな残酷なことを喪主が勝手に決めた・・・と親族から批判を浴びてしまうのが、今の日本では、残念な現状や。。。
そこで、日本では生前から、ドナーになってもいいですよ・・・という、臓器提供の意思を表示するためのドナーカードを携帯してもらおう・・・という、運動が進められている。このおかげで、本人の遺志を明確にすることが出来て、遺族が要らぬ詮索を周りから受けないような配慮は少しは出来るようにはなったんやね。。。
ところが、日本人には、どうしても、閉鎖的な村社会の名残があって、臓器提供をした人には立派な人や・・・という賞賛が与えられるのだが、断った人には、批判めいたこと・・・がされたり、逆に、脳死状態で臓器を摘出したら成功していた手術を心停止まで待っていたから遅かった・・・なんていうことも、多々あるのやろうね。。。
自分が死んで、何か人さまの役に立つのなら、ドナーになってもいい。。。そう、宣言するのは良いのだが、さて、いざ、つれあいが亡くなって、まだ心臓が動いているのに、どうぞ、臓器を持っていって下さい・・・なんて、現実的に言えるものやろうか。。。
そんな勇気が本当に、あなたにはありますか?