罪を憎んで人を憎まずは、もう古い?
12/13(土) 日本には、罪を憎んで人を憎まず・・・という言葉がある。よくよく、この言葉を考えれば、悪事をやった犯人は悪くなくて、その悪事そのものが悪い・・・という意味になる。。。私は、今の世の中で、こんな悠長な話は、もう通用せんようになっている・・・と、思うのやね。。。
大阪で歩道橋の上から、子どもを下に放り投げて、殺してしまった・・・という殺人事件が起きた。犯人は、いわいる「智恵遅れ」今は「知的障害者」って言うのかね。。。こんな人が、やった犯行やったのやけど、この裁判で、またまた、「精神こう弱状態」にあった・・・という事が認められて、犯人の刑が大幅に減刑された。。。
遺族の人の気持ちを考えたら、いたたまれない・・・気持ちやろうね・・・。犯人が障害者の人やったから、それで罪が大幅に許されてしまう。。。その人が起こした罪と、その人自身を別に考えるようなこと・・・に、私だったら、矛盾を感じる・・・と言わないといけないね。。。だって、腹が立つやんか。。。何で、自分の子が、そんな目に遭わないといけないか。。。。とか、思ってみ。。。誰も責められないなんて、気が狂ってしまわへんか。。。
最近のいろいろな事件を見ていると、弁護側は、何とか、犯行を起こしたときだけ、精神的に異常な状況であった・・・ということで、刑の減軽を計ろうとする傾向があるのやね。。。つまり、気がふれた状態やったら、人殺しをしても、許される・・・ってか。。。それは、おかしいやろ。。。やってしもた事が同じやったら、やっぱり、片一方は死刑で、もう片方が懲役10年やったら、やられた人の命に差がある・・・ような気にさせてしまうやんか。。。
私は、やってしまった罪の重さによって刑が決まる・・・つていうのは、当たり前やと思うし、犯人側の事情っていうのは、参考にはしてもええけど、結果責任を薄め過ぎるほど、たくさん減刑してしまう・・というのは、行きすぎやと思うのやね。。。
もちろん、障害者の人っていうのは、社会的に大きなハンディキャップを背負っているのやから、社会全体で、暖かい目で見てあげないとあかん。。。それは、当然や。。。問題は、それが逆差別になってないか。。。っていうところなんやね。。。ハンディキャッパーであるから、何をやっても許されて、死刑には絶対ならない・・なんていうことにしたら、どうなる。。。それは、行きすぎやろう・・・って言わないといけないやんか。。。
昔は、精神障害の人たちっていうのは、あまり、社会と触れあわないように、隔離する・・・という方針やったような気がするのやね。。。ある線引きををしてね。。。ところが、今は、出来るだけ社会に出て、いろいろな人たちと触れあわせる。。。という傾向が強いと思うのや。。。一口に障害って言ったって、症状は、ものすごい差があるからね。。。精神病って言っても、鬱病も、そうやし、ストレスから来る精神障害も増えてきて、多岐多様や。。。有る意味、現代人は、誰も精神的な病に陥る危険性を、誰もが持っている・・という事なんやね。。。。
そんなストレス社会で、犯人側の事情を、考慮ばっかりし過ぎると、どうなる。。。殺人などの凶悪犯罪をしてしまう人の精神構造って、どうやろ。。。誰も、異常に高まった感情・・・とか、抑えきれない殺意・・・そんな、異常な状況でしか、大それた事件・・・なんか起こさないのやないのかね。。。そうしたら、みんな、精神こう弱状態にあった・・・で、逃げられてしまうやんか。。。。
司法というのは、人に罪を与える・・・という、厳しい仕事や。。。だから、細心の注意を払って仕事をしはる。。。ただ、このさじ加減がおかしくなってきたら、社会的な正義が薄れてしまう。。。今の世の中は、取り返しの出来ないことをしてしまった人を憎んで、その人がそれ相応の刑罰に処せられることしか、正義を守れない・・・ことになってしまっている。。。のやないか。。。
刑罰が、被害者の復讐心の代理であってはあかんけど、被害者の気持ちに代わって、司法が犯人のしてしまったことを厳格に裁くことしか、社会のモラル低下を防ぐ方法が無い・・・と思うのやね。。。