法が裁けないこと・・・ってあるよね。。。
12/7(日) 山口県光市の母子殺人事件の被害者である本村さんが、一番の事件の当事者でありながら、傍聴券の抽選に当たらないと法定内にも入れないのは、おかしい。。。法定内に遺影を持ち込めないなんていうのは、おかしい。。。。犯人に直接、聞いてみたいのに、質問も出来ないのはおかしい。。。と、訴え続けていた成果が出て、日本の司法の考え方が大変換した。。。被害者が、希望すれば、その裁判に関わることが出来るようになったそうである。。。
当たり前のこと・・・と言えば当たり前のこと・・・なのだけれど、それまでの裁判が如何に閉鎖的で、世間の常識的な感覚などから、かけ離れていたのか。。。ということを、改めて、知らされた気がする。。。
自分の嫁さんと子どもを犯人に殺されて、平常でいられるような人は少ないと思う。。。来年から始まる裁判員制度において、法律の素人である裁判員が、飛び抜けて感情的にならざるを得ない被害者を見て、正当なジャッジが出来るのかどうか・・・という論議は有る。。。。でも、確かにその本人が犯人であり、犯行の真偽を問うている場合を除いて、こんな無茶苦茶なことをやりよった犯人に、罪を軽減させてやる必要なんかあるのか・・・という感情を持つのが、普通の人の一般的な気持ちではないのかね。。。
私は、このような酷い事案においてでも、この犯人の死刑を阻止するために、妄想のような論議を展開して、恣意的に精神混濁状況であったかのような捏造までして、弁護してやるのが、本当の正義なのか。。。と、甚だ疑問を感じるのやね。。。
日本の法律では、前例っていうのを、異常に気にする。。。以前に判断した判例っていう一つの結論が、それ以降の案件の審判に影響する・・・というのは、ある意味、一定の基準になって、罪状を決める目安になる・・・というのは、判る。。。ただ、あまりにも、大昔に下った判例を引っ張って来て、今の事案に無理矢理当てはめようとするのは、どうなのかね。。。
今の法律では、人を一人殺しただけでは死刑にならない・・のやて。。。二人以上殺したら、やっと何年も永い裁判をやってから、死刑判決が出る。ところが、その死刑が執行されるのがまた、なかなかや。。。100人以上の死刑待ちの受刑者が、まだ、塀の向こうで、同じ空気を吸って、ちゃんとメシも喰って生きている。。。こう、思っただけで、被害者の遺族なんかは、ずっと、悶々とした日々を送り続けなければならないのやね。。。
罰っていうのは、社会的に、こんなことをやったら、重い罰が待っている・・・とみんなが思うから、その犯罪を思いとどめさせる効果がある。。。。ところが、人、一人が死ぬ気になってやりよる犯罪。。。これは、犯人が、命なんて惜しまずにやりよるもんやから、何の抑止力にならへんのやね。。。これを、どうして阻止できるか。。。これが永遠のテーマなんや。。。
思い詰めた犯人が、酷いことをやりよる。。。ところがその犯人が、とても優秀な弁護士を付けて、裁判に勝ってしまって、大変軽い刑罰だけしか与えられない。。。人権重視というのは、ときに、理不尽な働きをしてしまうことも多く、こんなに酷いことをしているのに、大した罪にしか問えない・・・という矛盾が常に付きまとうのやね。。。
ロス事件の三浦のように、こいつが悪いことをやりよったのは、十中八九、間違いのに、法律の間で、なかなか罪に問えない・・・こんなもどかしさ・・・があるのやね。。。そんなとき、誰か、正義感に燃えたヤツが出てきて、自殺や事故に見せかけて、やっちゃった。。。私は、そんな気がして、しゃあないのやね。。。法が裁けないのやったら、私が裁く。。。漫画じみているかも知れないけど、そっちの方が正義っていうこと・・・あるよね。。。