関西弁嫌いの人たちへ | 京都発、言いたい放題!~毎日更新~

関西弁嫌いの人たちへ

9/2(火) 私は、毎日、このブログを書いているのやけど、忙しい時もあるし、暇なときもある。たまには、書きダメしておくときもあるし、たまに、毎日更新というノルマが辛いときもある・・・。

 そんな私でも、たまには、他の人の書いたブログをチェックしている・・・。有名どころでは、きっこのブログとかね。。。その、きっこのブログが久々に、面白かったので、ちょっと触れてみようと思う・・・。この、きっこさんという方は、ヘアメイクの仕事をされているそうで、そこに、関西出身の男の子と一緒に仕事をしなければならなくなったのだという。その人がマクドナルドのことをマクドと呼ぶのが耐えられず、東京ではマックって言うのを教えてあげたんやそうや。。。

 ところが、マックなんて、東京もんは何を気取っているのか・・・と反撃されたことに、いたく腹を立てられていた。。。もともと、きっこさんという人は、東京の人のようで、多くの人がそうであるように、関西弁嫌い・・・なんだそうである。島田紳助やら、が東京に来て仕事をしているのに、いつも、関西弁でしゃべるのは止めて欲しい・・・と思っておられるようである。

 確かに東京の人からすれば、郷にいれば郷に従え・・・ということなんやろうけどね。。。まぁ、島田紳助のしゃべる標準語が、私は気もち悪い・・と思うのやけれどね。。。東京では、多くの人が標準語ではないことを「恥」と思う文化がある。地方訛りが、どうしても、「下」である・・・という一面的な見方しか、出来ないのやろうね。。。ところが、大阪人は、東京に来ても、なかなか標準語に染まらない・・・という意地のようなものがあるのかね。。。それは、その言葉が積み重ねてきた歴史の重さが原因やと思うのやね。。。それが東京の人からしたら許せない・・・という感覚になるのやろう。。。日本の歴史はその半分以上が関西で積み重なっているのやからね。。。仕方ないやんか。。。

 まぁ、今でこそ、東京23区には1200万人もの人が住んでいるのやけど、親子孫3代、ずっと東京・・・なんていう人はその1割ほどなのやないのかね。。。つまり、9割は、どこかから東京にやって来た人たち・・・。言い換えたら、田舎者や。。。つまり、東京っていうところは、9割は、田舎者が集まって出来た街・・・っていうことなんやね。。。つまり、生粋の大阪人や京都人の方が、よっぽど発想が都会人である・・・という自負があるのやね。。。

 大都市っていうのは、それでええのや。。。。そういうもんやんか。。。特に首都である東京は、全国から優れた人たちが集まってきて、そこで切磋琢磨して、成功者だけが、そこに住み続けられる・・・っていう部分がある。失敗した人たちのことを「都落ち」っていう通り、勝者をたたえて、敗者に冷たい・・・っていう部分があるのやね。。。

 また、都へ行く事を上京っていうけど、これはもともと京都へ行く・・・って言う意味やった。それが、今では東京へ行くっていう意味にも、なったけどね。。京都にとっては、東京へ行くことは「東下り」なんていう言葉があったぐらいや。。。つまり、東京っていうところは、下品な武家たちがこさえた、血気盛んな街・・・っていう感覚があったのやろうね。。。京都では未だに、東京のことを下に見る習慣がある。。。現実は、京都にとって情けない・・・ような事が多いのやけれどね。。。

 さて、都というところは、いろいろな人が、いろいろなところから、やってくる器のようなものである。そして、その人たちはいろいろな文化をそこに持ち込んでくる。関西弁もその一つやろう。。。私も山手線に乗って、関西弁で友達としゃべっていたら、周りの人たちが冷たい視線をくれていた若い日を思い出す。まぁ、それだけインパクトのある言葉何やろうね・・・東京の人からしたら。。。

 でも、私は、それを排したらアカンと思うのやね。。。いろいろな文化を受け入れる懐の深さが街には必要や。。。だから、東京に来たら、標準語をしゃべりなさい・・・なんて、絶対に言ったらアカン・・・と思うのや・・・。こんなこと、横柄、この上ない・・・からね。。。人が他の人のことを大事にしなくて何を大事にするのか。。。人のことを大事に出来ないような人は、きっと、人にも大事にしてもらえない寂しい人になってしまう・・・と思うのやね。。。それも含めて寛容さ・・・なんやからね。。。他人のことを「人さま」って言うやろ。。。人に「さま」を付ける・・・この文化は、そのまま、人を大事にする文化なんやから。。。

毎年、春になると、京都にも39もある大学にいろいろな地方から学生さんがやってくる。。。女子大生たちのしゃべっている言葉を聞いていたら、みんな一様に訛りのない標準語をお話になる。。。テレビの影響は大きいね。。。どんなど田舎の出身の人でも、見事に標準語をしゃべらはる。。。

 だからと言って、京都に来たのだから、京都弁をしゃべりなさい・・・なんて無粋なことは、京都の人は、絶対に言わない。。。何故か。。。それは、自分たちの話している言葉に、絶対的な自信と、積み重ねた歴史の自負を持っているからなんやね。。。良いと、その子たちが感じたら真似をするだろうし、京都であんじょう生活をしていこうと思ったら、その街の言葉に自然となっていくものや。。。これが街の力やと言ったら、大袈裟やろうか。。。

 特に京都で標準語を使っていたら、いろいろな意味で損をする・・・。標準語は冷たいイメージがあるし、親しみ難さもあり、京都人に使うと、より良い期待した答えを貰えない場合が多い。。。だから、京都の学生さんになった人のほとんどが、京都に住む、2年なり4年なりで京都弁を自然と身につけてゆく。。。そんなもんである。。。

 観光や修学旅行なんかで、京都にちょこっとだけ来るぐらいならええのやけど、京都で住んで、仕事をして、いろんな人の本音を聞こうと思ったら、関東の言葉は、とても馴染みにくい。。。関西の劇場で関東の漫才師が漫才をやっていて、あまりにも会場が笑わないので、怒って帰ってしまう・・・なんていうのがある。関西人にとって、関東弁の漫才は、笑えないし、ちっとも面白くもない・・と感じてしまうのやね。。。客からしたら、せっかく高いお金を出して、思いっきり涙が出るほど笑って帰りたい・・・って思っているのに、ぜんぜん笑えないヤツなんか出してきて・・・と、その劇場の主催者にクレームの矛先が向く。。。こんなのも多いのやないかね。。。

 同じ東京の漫才でも、関西の空気を勉強して来とる人たちは、関西でもしっかり笑いを取る。。。何でも、そうやけど、同じものを、そのまま持ってきて、何の努力もしない人たちなんて、やっぱり、魅力は無いわなぁ。。。そんな人たちが、関西の客は厳しい・・・なんて、勝手なことを言う。。。

 言葉っていうのは、文化そのもの・・・である。その文化をその街が受け入れるだけの度量があるかどうか・・・っていうのと、文化の違う街でも、大きな影響力を発揮出来るかどうか・・・っていう部分があると思うのやね。。。その意味で、日本の大都市は、どこも、異文化に寛容であるべきやと思うし、郷に入っては郷に従え・・・っていうのも、正解だし、逆に、郷に入っても、自分らしさを失うな・・・っていうのも大事なことやと思うのやね。。。

 人は、自分と異質なものを怖がるものである。でも、慣れてくると、その魅力に填るときがある。。。そう、なりたくない。。。と頑なに心を閉じてしまうのは、悪い癖で、自分の殻に閉じこもってしまって、私は私、邪魔しないで。。。なんて言っている人は、幸せになれないのやね。。。もっと、心を広く、なんでもおもろいやん・・という関西人の「乗り」と「ツッコミ」の愉しさを見つけてみたらどうかね。。。と、こんなところが、きっこさんに言いたいところ・・・である。。。