真面目で勤勉な日本人像は、いま。。。
9/11(火) むかし、日本人の国民性を表す言葉に、「几帳面」で「真面目」、それに「勤勉」・・・というのが有った・・・。でも、どうも、いつの間にか日本は・・・その日本人を、良く捉えてくれたそんな言葉たちと、今はもう、オサラバしてしまっているのやないかね。。。
少なくとも戦後の経済成長を支えてきた段階の世代の人たちが現役だった頃までは、この勤勉で真面目な日本人像というは有ったと思うんや。。。少ない給料に文句言いながらも、仕事が楽しくて、より上を目指して、がむしゃらに働いた・・・・。それが、今の日本人になると、どやろ・・・、几帳面で真面目か・・・。私は、少し疑問符が付くと思うんやね。。。
人に物事を頼まれたら、最後まで責任を持って「きっちりと」する・・・。これが出来ない人が増えてきているやんか。。。それは、今の世の中がどんどん「ええかげん」になってきている・・・ということとも、微妙にリンクしている。。。特に、賞味期限を誤魔化していたりする食の安全・・・。耐震強度を誤魔化して建物を作っていたという偽装・・・。こんなのは、人は、嘘をつかない・・・という、信用、信頼を根本から覆してしまうような、極悪犯罪やと思うんやね。。。
お商売をしている人は、商品を売っているだけではなく、顧客からの信用というものも、一緒に売っていたのに、それが、一転して疑惑の目で見なければならなくなった。。。これが大きいのやね。。。騙した方より、騙された方が悪い。。。こんな疑心暗鬼の暗い世の中にしてしもたのは、誰が悪いのやろうね。。。こんな犯人捜しばっかりしていてもね。。。
私は、国民の価値観の変化がとても大きいと思うのやね。。。それは、日本という国が、宗教に対して、全く無頓着である・・・という点も見逃せないと思うんや。。。宗教には、キリスト教であれ、仏教であれ、人として生きて行くための「教え」というものがある。。。人を裏切らない・・・。人に嘘をつかない・・・。相手を尊重する・・・。この、人が人として生きて行くために、とても大事な当たり前の最低限のルールでさえ、今の日本人は与えられる機会がない。。。いゃ、そんなことから、逃げているフシもある。。。。これは、ひょっとしたら不幸なことなんやろうね。。。
日本人は宗教に対して、常に、恐れる政策を取ってきた歴史があると思うのやね。。。仏教の僧侶の力が大きくなりすぎないように、時の権力者は弾圧をし続けてきたし、織田信長はキリスト教的な思想が、日本中に広まって、国家転覆をされるのではないかと、徹底的に禁じた。。。そして、先の戦争では、国家神道が、戦争を泥沼へ向かわせたと、戦後は必要以上に宗教を排除する風潮がある。。。つまり、宗教の力を恐れすぎるがために、日本人の中に、宗教に対する畏怖感や、嫌悪感を持つ人まで増えてしまっているのやないやろうかね。。。
健全な宗教は、その人の精神的な心の拠り所になる。その部分が無いのが、何か今の日本人が、どことなく、ぼんやりと不安で、あんまり良い将来の夢を見られない・・・そんな、つかみ所のないような、不安感につながってしまっているのやないかね。。。
私は、べつにお寺さんの手先ではないけど、今の世の中に、もう少し、精神的な心棒になるようなものが、みんな欠落しているのやないか・・・と思うんや。。。健全な宗教が育たないから、わけの判らないカルト宗教が蔓延るのやろうしね。。。。
では、今の日本人の特長は、いったい、どういう言葉で集約できるやろうか・・・。ちょっと考えてみた。。。やっぱり、世の中のタガが緩んできて、自由とわがままの区別の付けられない「はき違い」の人が増えてきた・・・・とか、何でも自分のせいにしたくなくて、人のせいにしたがる「責任回避」・・・・それに、「事なかれ主義」というのになるのかね。。。言われた事は、上手に、無難にこなすけど、それ以上が無い。。。。
どんどん、世の中が自由になってきて、ルールまでがゆるゆるになる。。。怒らない方が悪いのか、気付かない方が悪いのか。。。ホントの意味での「大人」が減ってきてしまっているのが、本当の原因なのかね。。。まぁ、嘆くだけでは、何にも変わらないのやけどね。。。