子供には「大人はエライ」を理屈抜きで押しつけろ! | 京都発、言いたい放題!~毎日更新~

子供には「大人はエライ」を理屈抜きで押しつけろ!

5/9(水) 先日、日曜朝のテレビ番組を見ていたら、国家の品格の著者、藤原正彦氏が出ていた。私は、最初、このオッサン、変わった人やなぁ・・・と思っていたけど、次第に、この人の考え方の素晴らしさ、世の中の流れというモノに、決して妥協せず、おもねていない姿勢に、正直、驚いた。。。いちいち共感させられるところがあって、あ~っ、今の世の中に欠けていることを、この人は的確に捉えているなぁ・・・。そう思ったね。。。

 今の教育のどこがダメか・・・という問いに、藤原正彦氏は、親も教師も子供を大事にし過ぎて、どっちが主役であるか・・・そういう基本的なことが、そもそも、間違っている・・・と答えている。親と子とのどっちが偉いか。。。先生と生徒のどっちが偉いのか。。。その問題だと、スッパリと言い切っておられた。。。そりゃ、そうやで、、、いくら少子化の時代だからって、ここまで子供におもねている今の世の中が狂っている。。。その通りや。。。

 それと、面白かったのは、卑怯者になるな・・・というくだりであった。藤原氏がこの中で、「卑怯」の定義をしている。大勢で1人を殴るな 大きな者が小さい者を殴るな 男が女を殴るな 武器を用いて殴るな 相手をつぶすまで殴るな の5点である。大人の世界では、我、関せず。見てみないふり・・・ばかりしている我々にとっても、耳の痛い教訓やね。。。何か、こう言うと、戦前の武士道精神への回帰主義や・・・と言うような人もいるやろうけど、私は違うと思うで。。。

 それより注目すべきは、この卑怯者の定義を、「理屈抜き」で押しつけた。という点である。理由なんて言わせない。世の中には、絶対的な価値観というのがあって、誰が何と言おうと、卑怯であるということは、人として生きていく価値がない事であるという価値観を、子供に徹底的に「押しつけなさい」と言っている点である。問答無用である・・・そういうのが大事や。。。最近の親子とか、先生と教師の関係を、「友達関係」がベストであると勘違いしている大人が多い事を嘆いておられた。

 あ-っ、言えてるなぁ。。。フレンドリーで、友達みたいな関係って言えば、対等の関係である。大人と子供の関係は、絶対的に「大人が偉い」と言う前提がなければ、教育環境というのは、成り立たない。。。氏の指摘は的確である。

 戦後の日本の教育は、米国から徹底的な個人主義を押しつけられて始まっている・・・。行き過ぎた個性尊重が、こどものわがままを生んで、これに、日教組の、子供の言うことさえ、聞いていればよいという、馬鹿な自己責任回避主義が重なって、今の学校教育をどうしようもないものにしてしまった。。。そう思わないかね。。。戦争は、戦前の良かったところまで、全否定してしまったから、何の指針もないまま、当事者の思いつきで教育をやっておった。。。そう思う部分があるね。。。

 金八先生のように、良い先生もいるかも知れないが、とんでもない先生も多い・・・。本来、教師になんて向いていない人や、何の指導力もない、何の意欲もない、労働者としての、赤い思想の先生方が、やる気のない、だらしのない、子供を量産し、マナーやルールを守るという、最低限の社会生活を営むための躾も子供たちに身につけさせることが出来ないまま、子供を社会に送り出して来た。。。

 そんなことを言うと、先生方は、躾は家庭の責任であると、反論されるけど、それだけでは無いと思うけどね。。。子供にとって、学校は、自分の生活の大部分を占めているし、そこで学ぶこと、感じることは、家庭の比ではないからね。。。つまり、そんなのは、子供を躾ることの出来ない先生の、言い訳・・・。そう見えてしまうやんか。。。

先生という漢字は、先に生まれたと書く。先に生まれた人は、後から生まれてきた子供たちに、生きるすべや、人は何のために生きるのか・・・自分の生きる意味や、生き甲斐を捜させるために、学びの機会を提供する。でもね。そんな、子供たちを、あたかも、自分たちのお客様であるというような、学校にしたら終わりやと思うんやね。。。教師は、生徒に対するサービス業では、けっしてない。あくまで、大人と子供という上下関係があって、始めて学校組織が成り立つもんや・・・。このことを、肝に命じて欲しいもんやね。。。