臭い物に蓋だけでええのか?
1/19(金) まだまだ、変な事件が続く・・・。大阪の八尾で小さい子供を、何と歩道橋の上から、放り投げる男。。。子供は幸いにも、重傷を負いながら、何とか一命は取り留めたそうだが、取り押さえられた男は、授産施設に入っていた心身障害者やった。。。幼い子供に異様な興味を持つタイプの人やったみたいで、施設のほうでも、注意はしていたようだったが、止められなかったそうや。。。
ところが、調べて見ると、この男は今までに楊子を誘拐するような事件を何度も何度も犯していた・・・。つまり、常習犯。。。何度か、刑務所に出たり入ったりを繰り返していたようで、幼い子供を持つ親からしたら、身の毛もよだつようなお寒い現実や。。。
この事件を語るとき、どうも、ネットでは、そんな危ないヤツをどうして隔離しないんや。。。という風な論調が目立つ。。。孤島のようなところに、危ないヤツらばかりを集めて、半分軟禁常態して、シャバに出して来ないようにすべきである・・・。という論調である。これには、確かに一理はあるし、そうしてほしいと願う人は多いやろう。。。
ところが、心身障害者という人たちは、先天的にそうだった人もいるし、何らかの事件事故によって、そうならざるを得なかった人、また、精神的な疾患のある人など、いろいろなケースの人たちがいる。この人たちの人権とか、社会性を、どうして、守って行くべきか・・・。という壁に突き当たるのである・・・。
それでなくても、現代人は、精神的なストレスの多い人は多く、職場の人間関係がうまくいかなくて、会社を辞めた人・・・、自分の受け持っていたクラスが学級崩壊になって、退職した教師・・・。子供の頃に受けたいじめが原因で、対人恐怖症になり、就職が出来ない人・・・。こんなような人が何十万人といる。。。明日は我が身・・・という部分もある。。。心身障害者予備軍は、日本人全員なのかも知れないからね。。。
こんな人たちを十把一絡げにして、やれ、社会と、隔離せよ。やれ、山の中の施設に押し込んで、街に出すな・・・なんていう議論は、実は、全く現実的でないのが実状なのである。。。身障者を子供に持つ親たちは、それこそ、自分の命の果てるまで、その心身障害者の子供と付き合う覚悟で生きているのだが、その親たちが老いて亡くなったとき、残された子供たちは、どうなるか。。。社会が受け皿にならざるを得ないという、宿命も残るのである。。。。
そんななか、授産施設の運営というお仕事をやっていてくださる人は、ほとんどが、ボランティアに近い・・・。誰もやりたがらない仕事・・・。行政からの僅かばかりの支援、援助で、どうにかこうにか、助けられてやっている人ばっかりや。。。その多くは、天職であるとい覚悟を持ってやられている方ばっかりや。。。この仕事・・・・なかなか、出来る事やない。。。
今度の事件を引き起こした犯人のいた授産施設も、恐らく、そんな施設のひとつやったんだろう。。。この犯人を抑えきれなかった施設の理事長をいくら責めたって、何の意味があるのか・・・という無力感に迫られる。。。
人は、もともと生まれながらにして、清く正しい心を持って生まれてくるものであるという、性善説と、人は、もともと邪悪で、よこしまな考えを誰でも持っていて、何かに監視されないと、すぐ悪い事をしてしまうものであるという、性悪説がある。あなたは、どう思いますか?
このことを深く考えると、人間、何のために生きているのか、生かされているのか・・・、という議論に行き着く事が多いと思います。私の出した結論は、人は、人を信じるために生きている・・・そう信じたい・・・・という、格好良すぎる答えでした・・・。人が人を疑って生きて行くなんていう人生を生きたいかと、聞かれれば、そうではないと、答えるからです。何度も何度も過ちを繰り返すような、この事件の犯人にも、どこか人間の心を持った素晴らしいところがあると、信じて上げる人が、この世の中のたった一人の人でもいないと、この男の生きる意味が無くなると思うからです。。。この世の中に無くて良い命なんて無いと信じたいからです。。。
もちろん、この男のやった行為は、何があっても正当化できる事ではないと思いますし、もし、この投げ落とされた子供の親なら、この男を何度殺しても殺し足らないらいに憎むでしょう。。。でもね、この男の行為を、けっして許せないという自分と、何でこの男がこんなことをしてしまうようになってしまったのか・・・という自責が周りの人たちには有ると思うんですよね。。。精神的に病気であるこの男のやった凶行を、この男を重い罪で、罰するだけで終わらせないで、みんなで考える機会にすることも、重要なことやと思うんですよね。。。