マスコミは滝川自殺事件で、正義の味方気取りを止めろ!
10/8(日) 北海道の滝川市というところで、昨年9月に小学5年の女子児童が教室で首を吊って自殺した件で、1年以上も経って、教育委員会は、やっといじめによる自殺であることを認めた。
この事件は、先生という役人が組織防衛のために、この子の自殺をいじめではなく、別の原因にしておきたかった学校側と、ここまでハッキリした遺書が出ているのに、いじめは無かったと言い続けていたことが問題になった・・・。両親が学校でもなく、警察でもなく、マスコミに訴えて、やっとこの「手紙」を遺書と認めさせたというところやろうね。。。
それにしても、マスコミも、どこまで、バッシングやるんや。。。まるで、凶器攻撃みたいに私は思うで。。。。正義の味方気取りもええけど、少しは、自分らのやっていることも考えや。。。ちょっとも、深い部分が無いやんか・・・。このままで、行ったら、今、中学1年生になったあと15名の同級生をひとりひとり、追っかけて、お前のせいで、この子が自殺したんや。どう、思っておるんや・・・なんて、取材攻勢を掛けかねない・・・ような勢いやんか。。。
教育委員会という役人を、悪を仕立てるのもええけど、マスコミが今度、第二の自殺者を作ってしまうような危険性も予期しなあかんで。。。ただでさえ、今度のことで、この子の同級生の中には、動揺が拡がっておる。ひょっとしたら、私が言った「キモイ」という言葉で、この子を殺してしまったんやないやろうか・・・。と、たった12歳の子供たちは、かなり思い詰めているやろうからね。。。。先生たちは、この子らをかばっておるつもりなんやろうけどね。。。。
で、今更、このキモイと、言った犯人を捜し出して、いったい、何の意味があるのや・・・。この子が殺人者やと、言えるのか。そんな問題では無いのは、良識人なら、判るハズや。。。。
私は、いじめは、「誰が悪い・・・」という「犯人捜し」の問題ではない、とも思っている一人である。今の子も昔の子も、いじめる子といじめられる子というものは、常にこの世の中に存在し続けてきたはずや・・・。それによって、いじめられる子は、どうすればいじめられずに済むかを学習するし、これを乗り越えることで、解決する場合が多いからである。
いじめは、いじめる方といじめられる方の受け取り方がぜんぜん違う・・・。いじめる方は、そんなに気にしていないような些細な事でも、いじめられる方には、その何百倍も、厳しい言葉に受け取られてしまうからである。今回も、この子の同級生が言った、「キモイ」というたった一言・・・。これが、自殺した子供の胸にグサリと、突き刺さって離れなくなってしまったのだという。。。
では、このキモイと言った子に、そんなことを今後、一切言うなよ。。。。と、諭したところで、何の意味があるのだろう。。。。そう、全く意味がないのである。。。いくら、犯人の子を追い込んでも、今度は、この子は、キモイと言った子を無視するようになるで。。。関わりたくないという反応をするはずやで。。。そしたら、また、もっと関われ、無視するなと、この子に言うつもりか。。。。違うのが判るやろう。。。。そう、いじめは、実は、受け取る側の気持ちの問題なんや。。。いじめられていると感じる心の問題が本質なんや。。。良い悪いや無くて、克服するか、せえへんか・・・の問題なんや。。。。
キモイという言葉は、この年代の子供がたいへんよく使う慣用句であり、99.9%の子は、この言葉を浴びせられても、死のうとまで、思い詰める事はないのである。お前の方が、キモイぞと言い返す子。私、その言葉嫌いやから、「言わんといて」と懇願する子、喧嘩して仕返す子。いろいろやろう。。。
社会への適合が下手な子(というより、未熟な子と言った方が的確やろう・・・)が、確かに増えてきている。それは、子供の数が減り、一人っ子が多くなった事も関係している。子供が一人しか家庭内にいないと、親は、一人の子に、一生懸命愛情を注ぎ込む。だから、何でも欲しいモノはかつて貰えるし、何でも親は、子供の言いなりや。。。。まぁ、金正日のような、独裁者を各家庭で一生懸命作っているようなもんや。
ところが、兄弟が多いと、ここに1つの社会が生まれる。おやつの取り合い。喧嘩した時に、どっちにつくか。強いものに従い、弱いモノははじかれるという弱肉強食の世界のミニ版がここに出来る。これは、有る意味、集団でのリーダーシップの育成につながる事が多いんや。。。
身体が大きい。喧嘩が強い。でも、弱いモノは、いたわるし、相手のことも尊重する。。。こうして、小さな社会勉強を子供たちは積んで行くんや。。。度胸を身につけて行くんや。。。ところが、今の先生はどうだろう。。。昔から、クラスの中で、少なからずあったはずのいじめに、出来るだけ関わらずに、無視してきたような人が多いのやないか。。。こんな人がもし、先生になったとしたら、どうだろう・・・。この先生は、自分のクラスで起こっているいじめを、見つけても、またまた、知らんぷりしか、しない気がする。。。いじめられている生徒に取ったら、正義の味方になってほしい先生が、事なかれ主義の先生だったら、ゼッタイに、この子を助けられるはずがない。。。そう、思わんか???
自殺した子が、わざわざ教室まで来て、首つり自殺したのは、多分、いじめられた友達や、無視した先生への復讐のつもりなんだと思う・・・。この子には、自分の死を、いじめられた、この人らに見せつけることで、怨みを晴らそうとした。私は、そう見る。。。。そして、その計画は、1年も経って、やっと成就した。この教室で自殺した子の事を、大勢でいじめた子供たちは、一生忘れられないし、自分が殺してしまったのかも知れないという、嫌な感じを、ずっと、その子の心の片隅に、刻み込む事に成功したんやからね。。。
でも、このやり方は、私は汚いと思うし、自らの死と引換にすべき事では無いという点において、この子の未熟さが残念でならない。何にも、死ぬことはない。。。。。自分が勝手に死んで、これを人のせいにするのは、やっぱりおかしいし、間違っている。亡くなった子には、申し訳ないが、私は、キツイようだがそう思うで。。。。
もっと、強く生きて欲しかったで・・・。ご冥福をお祈りします。。。