ちょっと違うぞ棄民政策! | 京都発、言いたい放題!~毎日更新~

ちょっと違うぞ棄民政策!

6/9(金) 私の生まれた1957年頃、日本は、経済成長の前触れである、人口爆発が起こり掛けていた。戦後のベビーブームから10年余り、増え続ける日本の人口を何とかしようと思ったのか、外務省は、ブラジルやらドミニカへ、何とか日本人を輸出しようとしていた。この呼びかけに、山口県や九州の農家の人達がこぞって応じ、500人弱の人たちが、ドミニカに移民した。自分の全財産を売り払っても、向こうで300タレル(180ha)の土地が無償でもらえる・・・・、という外務省の言葉を信じて、そこに行ったら、楽園があると、信じはったんやろうね・・・。

ところが外務省の甘い言葉は、真っ赤な嘘やった。ドミニカの殖民法では、移民に無償で土地を与えることなどはなかったんや。。。。現実は、約束の3分の1にも到底足らない、たった80haの土地を、貸してもらえるだけやったんや・・・。それも、水不足で乾燥した、塩を吹いている土地や、あるいは石だらけで、どうしようもない土地やったんや・・・。

  この日本人移民計画は、別名、「棄民政策」とも言われる。日本の国が、自国民を棄てる・・・。日本が食いつなぐには「口減らし」しかない・・・。こんな寂しい政策やったといつも感傷的に報道される・・・。でも、当時、本当に本当に、日本人は飢えていたんやろうか・・・。戦後12年、まだ食料不足やったんやろうか・・・。少し私には、疑問が残る。。。。もっと他の理由がこの政策にはあったんやないのか。。。。一昨日、東京地裁であった裁判で、移民の人たちが、日本の国に、騙されたから、賠償せよという裁判の判決を聞きながら、あれっ?と、思ったご年配の人はいなかったやろうか・・・。

棄民政策・・・、この寂しい言葉の響き。。。移民でドミニカやら、ブラジルに渡った人は、なぜ渡ったのやと思う?それは、日本でこのまま生きて行くより、向こうで一旗揚げようと、言葉は悪いが、「敗戦国・日本」を見捨てた人たちでは、なかったのかと、言いたい人もいるやろうと思う。もちろん、現地では、それは酷い生活をされていたのやろう・・・。国に騙されたと思われた・・・。それもホンマやろう。。。でも、当時、日本でも極貧の生活をしていた人たちは多かったし、それと、比べることも、難しいやろう・・・。

 その後、日本は、たまたま急速な経済復興を遂げた。これは、日本に残った人も、一生懸命努力した結果や。。。たまたま、海外移住を選択した人が、祖国の復興を、「しまった・・・。日本に残っておいたら良かった・・・」と、言っているだけ・・・という面は払拭し得ない。。。日本は、戦争直前まで、満州に日本人を派遣して、その地域を大発展させたという、成功事例があった。この感覚を、今度は南米の未開の国で。。。と、当時の外務省のお役人たちは考えたのやろうね。。。それが、敗戦した日本が、何とか忌々しい「敗戦」から、必死で抜け出そうとしていた・・・。そんな政策のひとつやったんやないやろうか・・・と、思うのである。。。

 世界で活躍する日本人・・・。これは、中国の華僑が世界中にいて、その国に入り込みながらも、したたかに生きて成功している・・・。この事例を目の当たりにした日本人が、それなら日本も・・・と、考えていたフシがある。。。日本には資源もない。人しかない。たくさんの日本人が他の国で活躍するという構図は、世界第二位の経済大国になった現在、皮肉にも海外で活躍するビジネスマンたちによって、実現している。その先駆けになった先人は、この移住者の人たちやろうね・・・。

 国は、移民政策で出て行った人への賠償は、出来ない。昔の政策を否定してしまうには、大変な勇気の要ることやし、あまりにも対象者が多すぎるからね・・・。でも、出て行った人たちにとったら、自分たちの60年間が、祖国に否定されてしまう・・。これだけは、許せない事やろう・・。国は、ご苦労をかけてスミマセンでした。騙してすみませんでした。と、素直に謝る時期に来ているやろうね・・・。移民一世の人たちの命があるうちに。。。