坊主丸儲けを許すな!
5/15(月) 先日、Nさんという雑誌の記者さんからメールをいただいた。私が昔に書いた「墓石の墓場」のことについてのお問い合わせだった。世の中には罰当たりな事もあるもので、先日、ブログのページでその写真を公開したところである。同じ事を思っていた人はいるもので、愛知県の実例だが、今週の金曜発売のサンデー毎日でその事の記事が出るそうである。
今のお寺さんは、寺の境内に墓地を分譲して、ここに墓を建ててもらう権利を販売している。もちろん、墓石の業者を紹介なんかしたら、そこから、リベートは貰っているだろうし、喪家からは、永代供養料という名目で、カネを取っている。お墓を建てたりすると、開眼供養。実際に納骨してもらう時には、入魂料、あぁ、地獄の沙汰もカネ次第とは、よく言ったもので、人が死ぬと、ほんま、たくさんお金が要るものである。。。。
こうして、やっとお墓が出来て、仏さんも、安住の地が出来たなぁ~と思ったら、大間違い。毎年の管理料を払ってくれと言ってくるし、年に一度の命日にはお参りしてもらわなあかんし、月参りと言って、毎月の命日に自宅の仏壇のお参りをさせてくれと、「営業」もしっかりされる。その後も、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌と3と7の付く年に、年忌の法要が続き、この度にお寺さんにお布施が必要になる。。。。
どこのお寺さんとお付き合いをするかは、喪家の自由だが、昔、おじいちゃんが亡くなった時に、お付き合いのあるお寺さんが2つ有って、この一つをお断りするのに、おばあちゃんがホント苦労していた。喪家とのお付き合いが続く事というのは、そのお寺さんにとっての生命線であり、自分の食い扶持が1つ無くなることになるから、どこも必死である。
なかなか、「お得意先」が減ることは有っても、普通、増えることは少ない。お仏壇の無いお家が多くなってきたこともあって、核家族化現象は、こんなところにも大きな影響力をもっているのかと、実感させられる。。。人が亡くなると、葬儀の時に葬儀社に僧侶を紹介してもらう人も多いと聞く。田舎から都会に出てきて、こっちで亡くなったからと言って、田舎からわざわざお坊さんにいちいち来てもらうことも、大変である。だから、葬儀社で同じお宗派の僧侶を手配してもらう。この僧侶は、いわば、新規顧客をどんどん紹介してもらえる打ち出の小槌みたいなもんや。
葬儀専門の坊さんは、葬儀でがっぽり稼いだ後、このお家とのつながりを、他のお寺さんに「引き継ぐ」形で、事実上の顧客紹介をして、また稼ぐ。ここにも多分、カネが動いているだろうし、利権を譲り受けたお寺さんは、墓地を売ったり、墓石を売ったりして、ここらへんの費用をしっかり回収する仕組みになっていることが予想される。ほんま、えげつないね。。。
ところが、墓を作ったはええが、引っ越したり、子が無く、お墓の守りを、誰もする人がいなくなったお墓は悲惨である。無縁仏になったお墓は、お寺さんが石材店に依頼して、撤去され、整地され、また再販売される。いや、厳密に言えば、「永代供養料」というのは、嘘で、実は墓を置く権利を「売る」と称して「貸して」いる。これが実状なのである。おまけにこれらの行為は「宗教行為」とみなされて、一銭も税金を納めなくて良い「非課税」なのである。
こうして、無縁仏になってしまった墓石は、山の中のような土地の価値の低い場所に、無惨な姿をさらして放置される。これで成仏せえとは、殺生な話や・・・南無阿弥陀仏・・・、南無妙法蓮華経・・・、天に召します、我らの父よ・・・・。
憲法に保障されている、信教の自由と、納税の義務のどちらが重いかは、ご意見の分かれるところだが、「僧侶」という職業の特権を許し、税金を免除したのは、やっぱりおかしいと私は思う。人は法の下に平等、全ての国民は納税の義務を負う、こっちの方が、重い概念だと私は思うのだが、どうやろう。。。。
それとも、歴史的に宗教がそれほど重い位置を日本で占めてきたというのは、本当だろうが、憲法でさえ、宗教の下に置くべきものなのか・・・。私にはわからん。創価学会さんの力が政治の世界でも大きいように、政治の歴史は、多くの信者を組織出来るという宗教者の地位が、大きかったと、認めざるを得ない。西欧社会もまさしくそうやったもんなぁ・・・。宗教で起こった戦争がほとんどや。。。
でも、日本ぐらいは、宗教より、政治や法が上であると、考えたいのが理想なんやけどなぁ。。。日本は、神社に初詣をして、仏教でお葬式をして、キリスト教会で結婚式をしたかと思うと、神社の神輿を担ぎ、クリスマスにはキリスト教徒に戻り、観光地のお寺に拝観していたかと思うと、入学祈願に絵馬を奉納・・・。ほんま、他の国の人にとったら、ほんま信じられないほど宗教には自由奔放で、無頓着ある。このええかげんさが、深刻なことにならなくてなかなか良い・・・。なんでも、お参りやら祈願してたら、災いは来ないやろう・・・という安直なお手軽さが好まれる。
ひょっとしたら、日本人は、1つの宗教にのめり込むのが恐ろしいと感じている可能性はある。それは、ある意味、宗教の恐ろしさをよく知っているせいなのかも知れない。だから、無難にどの宗教とも等間隔の関係を続けたいし、良いトコ取りをする。こんなのが今の日本の現状やろう・・・。こんな国で、非課税の特権のある一部の職種を守って行くような意味がいったい本当にあるのだろうか・・・。
信教の自由は、無税でないと本当に守られないのか。私は、どう考えても、宗教家の屁理屈でしか無いと思うのやけれどね。。。この議論がもっと高まるべきやと思うね。。。