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ジージの小流儀

ジージのボケ防止のため 
ちょっとだけ「私の流儀」にこだわった(と思っている)
日々の読んだこと、聴いたことなどの記録です。
ありがとうございます!!

「君たちはどう生きるか」に異論あり

著:村瀬 学

発行:言視舎

 

副題は【「人間分子観」について議論しましょう】

 

感想

 

 図書館で「君たちはどう生きるか」を検索した時に、同時にヒットした一冊でした。

 グランパも多少感じていた違和感を、氏は見事に解明されているように思った。

 

 氏は、コペル君の「人間分子観」が上から見る目となり、進歩に寄与しない人間を低く見る見方を誘導する人間観になる可能性。「【生産者】と【消費者】と二分する人間観の貧しさ」「赤ちゃんや老人や病人や障がい者など【労働】「【生産】の携われない人たちの存在の仕方を肯定する発想がでてこない」「社会問題と人間の価値観を混同させている物の見方」であることを指摘される。

 グランパも、どうしても「上から目線」で言われているような「違和感」はぬぐえないことの根本がこうした「人間観」からきているものだと思う。

 

 また氏は、「いじめ」問題の解決方法でも「【力】に訴える方法によっています」「【解決】に奔走したのは【権力】を持つ親たち」であり、「古臭い」方法で、現代では通用しないこととされます。

 グランパも戦中の「物語」の一つとして読むには「面白い」のだが、現代に置き換えた場合には、やはり違和感を禁じ得ないところだ。

 

 

 

 

 

君たちはどう生きるか

著:吉野源三郎

発行:マガジンハウス

 

1937年初版刊行

 

文中のpは、マガジンハウスの本のページ

 

読書感想

 

人生の処世訓として読んだ場合は、いろいろと示唆に富み、参考になることが多い。

グランパとしてメモした範囲を下記に紹介

 

まず「主体性の大切さ」

曰く「常に自分の体験から出発して正直に考えてゆけ」「君の魂で知ること」(p60)

 

次に「学ぶことの大切さ」

曰く「人類の発見、今日の学問の頂上に登り切ってしまう必要がること」(p104)

 

また「人間関係の大切さ、他者の尊厳の大切さ」

曰く「人間として自尊心を傷つけられるほどいやな思いをすることはない」(p139)

 

はたまた「人間の本来の性質への信頼」

曰く「人間が本来、人間同士調和して生きてゆくべきものでないならば、どうして人間は自分たちの不調和を苦しいものと感じることができようか」(p268)

 

さらに本書は、刊行が1937年という「第二次世界大戦戦争前夜」という時期に行われているので、歴史的な「制約」や「意味合い」を感じることも多い。

 

取り上げられる学校生活での出来事は、昨今でも大問題である「いじめ」であるが、登場人物の背景や問題解決の方法は、そのことを強く反映しているように思う。

 

時代は、日本がまさに他国へ侵略を戦争を拡大していっている時期であり、登場人物は退役軍人(大佐)や有力財閥子息など、それらを客観的には推進している人々である。例外的に、貧しい「豆腐屋」のせがれも登場するが、いささか不自然さは否めない。

 

こうした背景を含めて読んでいくと現代には通じない「古臭さ」と現代では否定される「価値観」とが透けてみえてくる部分もある。ただし、これは読み手の「価値観」にゆだねる点も多いとは思う。

 

そして、最後に

「すべての人がおたがいによい友だちであるような、そういう世の中が来なけれないけないと思います。人類は今まで進歩してきたのですから、きっと今にそういう世の中に行きつくだろうと思います。そして僕は、それに役立つような人間になりたいと思います」

と結んで主人公の生きる方向を指し示す。

そのうえで、

「君たちは、どう生きるか」

と問いかけて物語を終わる。

 

今まで題名のイメージから、青少年向けの啓蒙書くらいの認識でいたが、内容を読んでみて、ちょっと違うな、という感想を抱いた。

 

もちろん、今でも青少年が啓蒙書として読んでもお薦めではあるが、いろんな年齢層の人でも十分楽しめる、考えさせられる、一冊だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2006年アメリカ映画

原作:ジェームス・ブラッドリー、ロン・パワーズによる同名のノンフイクション小説「硫黄島の星条旗」

監督:クリント・イーストウッド

 

硫黄島2部作の一作目

 

個人的「おすすめ度

 

(◎強くおすすめ 〇ま~ △普通 ✕おすすめしない)

 

お薦め度  イーストウッドフアンとしては、

 

感想

 

「硫黄島からの手紙」の姉妹作ということで両方を一気に鑑賞。

「硫黄島からの手紙」が日本側から見た「硫黄島の戦い」。「父親たちの星条旗」がアメリカ側から描いたもの、ということだが、グランパは、そうは思わなかった。

 日本の映画として、アメリカの映画として、というのならば、まだ理解できる。

 

 というか、どちらも「独立」した映画として鑑賞した(できたというべきか)

 共通点があるとしたら、戦争の「残虐性」「むなしさ」「非人道性」などであろうか。

 それだけ、イーストウッドは、普遍的なテーマを両方の映画で描いていると思った。


 「戦い」事態は、太平洋戦争の最大の激戦と言われるアメリカ軍の勝利。摺鉢山に星条旗を立てた「普通」の兵士が、勝利の「英雄」として「可視化」される。兵士は、アメリカ国内事情として、膨大な戦費を調達する国債を売るためのキャンペーンの道具として扱われる。過程で様々な「ウソ」が覆い隠される。

 それに対してアメリカインディアン出身のアイラは耐えきれない。「本当の英雄は、仲間のために死んでいったものだ」と慟哭する姿はやりきれない。

 

 「英雄」を必要とするのは、国家のために死んでいくものを生み出したいため。しかし実際戦場で命を懸けて戦う理由は、「仲間」のため、残してきた「家族」のため。  

 

 戦時調達国債の販売がショービジネスのように扱われる。

 人種差別もアイラを通じて描かれる。

 戦争による精神的障害も随所でフラッシュバックを伴って描かれる。

 戦争における既存の「英雄」像を否定していく。

 米軍の高級将校の保身する姿。

 現代にも通じる社会の「病理」(情報操作の怖さ、戦争がビジネスなど)をきちんと描いている。

 などなど、上げればきりがないほどに、映画としても、いかにもアメリカらしい見どころ満載でした。

 

 

 

 

 

2006年 アメリカの戦争映画

監督:クリントイーストウッド

主演:渡辺謙、二宮和也

 

 

同じ戦いをアメリカ側の視点から描いたイーストウッドの「父親たちの星条旗」の姉妹作

 

個人的「おすすめ度

 

(◎強くおすすめ 〇ま~ △普通 ✕おすすめしない)

 

お薦め度  イーストウッドフアンとしては、

 

感想

 

 旧日本軍の地下壕から鞄が発見され、家族に書き残した数百通の手紙が見つかった。太平洋戦争の激戦地、硫黄島の戦いの最中に、手紙の内容をモチーフにした兵士の家族との交流が描かれる。激戦とは言っても、すでに圧倒的に軍事力の劣る日本軍の敗走場面が中心。

 

 単純にアメリカが正義で、日本軍は悪、という描き方ではなかった。日本兵の捕虜をアメリカ軍が何の権限もなく(おそらく明らかな国際法違反)打ち殺すシーンもあった。

 

 下級兵士(二宮演じる西郷陸軍一等兵)の視点から全体を見る描き方であり、軍隊内部の本音と建て前の「虚しさ」「愚かさ」が随所に見られる。日本軍内部統制の乱れも描かれており、戦争の実相にせまるものだろうと思った。

 

 硫黄島守備隊隊長の栗林忠道陸軍中将やロサンゼルスオリンピック(1932年)金メダリスト西竹一連隊長(陸軍大佐)などアメリカをよく知る人々を通じてアメリカとの開戦の無謀さを暗示させている。これも描きたい内容の一つだったと思う。評価はさておき、正しい情報と教育の重要性を反面教師としても痛感する。

  

 個人的は、憲兵隊で上官の命令に背き最前線の送られてきた清水洋一上等兵と西郷とが理解しあい清水の流す涙、脱走を試みて捕虜となり打ち殺された清水を見て慟哭する西郷の姿に、戦争の残忍さを思い知り、言い知れぬ怒りを覚えた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

BLUE BACKS

「能力はどのように遺伝するのか」

~「生まれつき」と「努力」のあいだ

著:安藤 寿康

発行:講談社

 

自分のことで言えば、いまさら「遺伝」ではあるが

孫や子との関係では気になるところである

 

人のあらゆる活動に「遺伝」の要素があることは体感的にも理解はしてきた

 

しかし「遺伝」ということへの理解は乏しく考え方も整理されていない

 

孫や子への遺伝、やはり気になるのは「学力」などがどの程度、どのように「遺伝」によって左右されるか

 

もんもんとした気持ちを抱えていたところで出会った一冊であった

 

「まえがき」から

行動遺伝学は・・優生学と隣り合わせである(との自覚)

遺伝・・決定論的・宿命論的な‥過去の先入観・偏見を打破

遺伝・・生命を・・特長たらしめている・源泉

 

読後感を一言でいえば

遺伝(生まれつき)は「宿命」として受け入れざるを得ないが

「努力」で成しうることもある

という従来の「折り合い(分かったつもり)」をつけることはできた

 

Coda コーダ あいのうた』(CODA

2021年アメリカ合衆国フランスカナダカミング・オブ・エイジ英語版)・コメディドラマ映画

主人公は家族の中で自分だけが聴覚のある女子高生で、漁業の仕事を手伝いながら歌手になるという夢を持つ。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

 

個人的独断と偏見での「おすすめ度

 

(◎強くおすすめ 〇ま~ △普通 ✕おすすめしない)

 

 ◎

 

感想

エンタメ性は少ないが、社会的マイノリテイ出身(アメリカ社会をよく知らないが、多分 漁師や聾唖者としての存在は。今のアメリカはトランプ現象で事態はもっと酷くなっているかもしれない)である女子高校生が家族の理解を得て夢を実現していく姿は単純に気持ちよく泣けた。爽快感の残る名画の一つ。

とくにエンデイングに近い場面で、聾唖者である父親フランクが娘ルビーが歌うのを喉に手をやり聞こうとする姿には涙を禁じ得なかった。

現在のトランプ現象との関係では、娘ロシーがボストンのバークリー音楽大学に進学したいと言ったとき父フランクが「あの町はバカばっかり」とつぶやくシーンがあった。マノリテイとして(及びプアホワイトとして)都会のインテリや成功者に対する感情の一端を知る思いがした。しかしそれ以上の「恨み、妬み、嫉妬」など現在マスコミを通じて報道されるアメリカ社会の分断した後ろ向きの負の感情は描かれていない。むしろ漁師としての矜持を感じさせる爽快感のある一言だった。これが多くのアメリカ国民の本当の姿ではないかとグランパは思っている(と信じたい)。

 

 

コーダ(coda)は、楽曲において独立してつくられた終結部分をいい、しばしば主題部とは違う主題により別につくられているものを指す。また、元来は「」を意味する語で、ラテン語のcaudaに由来する。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

 

 

「運は遺伝する」

著:橘玲、安藤寿康

発行:NHK出版新書

 

最近、遺伝の人生への影響と考え方対処の仕方を考えることが増えた

 

残り少ない人生で

自分では決めることの出来ない

将来の子孫のこと

 

知ることがよいのか

意味があるのか

心は揺れ動く

 

遺伝も人生も

確率を考えずには

成り立たない

 

これは西洋の科学宗教など文化の全てに関係していることだろう

東洋の文化、とりわけ日本では確率よりも宿命みたいなことが基調のような気がする

 

だから余計に遺伝のように従来の常識では、変えられないという宿命観の強いものには、考え方の整理が必要だと思った

 

一昔前なら弱い点として、金融、情報など。

性についても同様であろう。

遺伝についても、科学的リテラシーの向上が必要と思う

 

社会的影響は重要

ー理論が結局格差を固定化させる役割はある

ー高学歴から高学歴歴の子孫が生まれやすい

 

こんな情報や思いを抱いていた時に、

「運は遺伝する」というショキングな書名に心ひかれて読んでみた

 

以下、内容の備忘録的な紹介です

 

はじめに

誰も遺伝から逃れることはできない(橘玲)

遺伝の影響を無視した「発達心理学」「社会教育学」は20年後には忘れ去られているだろう

行動遺伝学の知見が「GWASギーワス ゲノムワイド関連解析」

によって裏付けられている。誰も逃れることはできない。

どう対処するかだけだ。

 

 

遺伝へのリテラシーを上げること

 

図3

45P

外在/内在、不可変/可変、

ガチャ、努力、遺伝、環境

 

遺伝率の状況

 

知能のポリジェニックスコア 遺伝率 15%

脳の部位による遺伝率の違い

前頭葉、前頂葉 遺伝率  90%

側頭葉          50%くらい

知能遺伝率平均  60%くらい

 

 

行動遺伝学

 

個人差

遺伝50

共有環境5(家庭環境など)

非共有環境45(共有以外なにものか)

 

学業と家庭環境

5%

社会経済的地位

学業成績

15−30

 

遺伝の結果を受容する

日本人ー宿命論ー自然災害被害

ー微細な認知傾向

西洋白人ー確率論ー戦争被害

ー全体的認知

 

タークハイマー

行動遺伝学三原則

行動遺伝学の権威、エリック・タークハイマーが提唱した、
「行動遺伝学の3原則」

  1. ヒトの行動特性はすべて遺伝的である
  2. 同じ家族で育てられた影響は遺伝子の影響より小さい
  3. 複雑なヒトの行動特性のばらつきのかなりの部分が遺伝子や家族では説明できない

 

ビッグファイブ理論(ルイス・ゴールドバーグ)

 

パーソナリテイ構成5要素

外向性/内向性

楽観的/悲観的

協調性

堅実性(自制力)

経験への開放性

 

パーソナリテイの遺伝的影響→半分5割くらい

 

思春期後半でパソーナリテイの安定

自分の特性を生かせる環境を探すこと

特性にあった環境を探し応じた知識をつける

自分の遺伝的素質に合う環境を自ら作る

→人生での成功確率の向上

 

遺伝的適正

結局自分は何に向いているか見つけなさい

 

自分の能力を知る最初の手掛かりは

興味関心をもつ分野や事柄

 

カール・フリントン

人間の脳は一つの予測装置

 

脳 (外側頭頂葉、海馬など)デフォルトモードネットワーク

個人的レベルの内面的心的活動 身体的感覚を扱う

 

(前頭野など) 実行機能ネットワーク

外的情報抽象的情報の論理的能動的処理

 

人的資本の最強法則

遺伝的アドバンテージをフックに

好きなこと、得意なこと

に人的資源を集中させる

自分の強みを活かさせるニッチに活動の場を移す

 

流動性知能 論理力数学的

結晶性知能 語彙力など経験的に蓄積

 

日本人はどこから来たのか、を調べて楽しむ程度、本来、遺伝なんて、その程度のもの

 

 

あとがき(安藤寿康)

もともと悪の学問だった優生学と同根の行動遺伝学を社会的に許容され市民権あるものとして発表するために必要とされる姿勢

遺伝をよきものという新しい遺伝観 

 

 

読書感想は、

いろいろと議論の多い分野であろうが、今後の重要な「教養」の一つだと思った。

 

 

 

 

 

「君たちはどう生きるか」

2023年7月公開の日本のアニメーション

スタジオジプリ制作

宮崎駿の原作、脚本、監督

 

{お薦め度}

 不明??

 

{感想}

正直内容はよく理解できませんでした。

 

吉野源三郎の小説の「君たちはどう生きるか」に由来しているとのこと。

で、小説も読んで映画を観たが、「同小説が主人公にとって大きな意味を持つ」という点は、粗雑なグランパの頭では理解できませんでした。

粗忽にも、内容も同名の小説のアニメ化と勘違いして鑑賞したので、理解できないのは当然か。

 

思いつくままに共通点をあげるとしたら

時代背景が、第二次世界大戦前夜であること

登場人物像が当時の「富裕層」であること

主人公の真人とコペル君等との共通点は思い当たりませんが、真人がコペル君等四人のミックスだとしたら多少共通点は感じる。

吉野小説では「上からの視点で人間の分子状態」が俯瞰される。

アニメでは「下の世界」へ踏み入れる。

こうした「視点」の違いという共通点があるのかしら。

どちらも「で」「君たちはどう生きるのか」と最後に問われると、ウっと詰まって考え込んでしまうこと。

などなど、まったくの消化不良に終わっています。

すいません。

 

小説とは関係なく、一つのファンタジーとして観れば、それなりに楽しめたと思います。

映像は綺麗でした。

 

参加者の皆様へ

 

当方、少々、体調不良のために

ブログの参加頻度を調整して参加させていただきます。

内容も、読書や鑑賞を中心にしてまいりたいと思います。

それで、ブログ名も少し変更しました。

 

よろしくお願いします。

 

「元気に下山」(毎日を愉しむ48のヒント)

著:五木 寛之

出版社:宝島新書

 

熱心なフアンの多い

五木寛之

 

申訳ないことながら

今までほとんど読んだことがなかった

 

今回図書館で

ゆったり生きるコーナー

(だったか)

に展示されていた

 

読み始めてみると

終活の心構えを探していた自分に

ぴったりと合う本だった

 

宗教、仏教への

深い洞察を

ベースに

人生の森羅万象を

我々凡人にも

よく理解できるように

説かれる

五木節に

たちまち

とりこにされる

 

片意地はらない

自然体の

生き方は

終活を迎えた

今のジージに

限りない

勇気を

与えていただいた

 

思わず

こんな本に出合えて

ありがとう

と言いたくなった